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名古屋高等裁判所 昭和31年(う)883号 判決 1959年4月22日

控訴人 被告人 北原治三郎 外三名

弁護人 田中一郎 外三名

検察官 神野嘉直

主文

原判決を破棄する。

被告人北原治三郎を懲役七年に

同橋本勇を懲役拾年に

同小木曽比奈次を懲役五年に

同渡辺録郎を懲役五年に

各処する。

原審および当審における訴訟費用は別表記載のとおり被告人らの単独または連帯の負担とする。

被告人ら四名の本件各控訴はいずれもこれを棄却する。

理由

検察官の本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官子原一夫名義の控訴趣意書、被告人ら四名および被告人北原治三郎の原審弁護人田中一郎の本件各控訴の趣意は、被告人北原治三郎の弁護人田中一郎提出の控訴趣意書、被告人橋本勇、同小木曽比奈次の弁護人青木紹実提出の控訴趣意書、被告人橋本勇の弁護人佐藤正治提出の控訴趣意書、被告人渡辺録郎の弁護人柘植欧外、同高橋正蔵提出の同人ら共同名義の控訴趣意書および控訴趣意補充申立書、被告人渡辺録郎提出の控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであるからいずれもここにこれを引用するが、これらに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

被告人北原治三郎の弁護人田中一郎の控訴趣意第一点(事実誤認理由不備の論旨)、被告人橋本勇、同小木曽比奈次の弁護人青木紹実の控訴趣意第一点および第二点(事実誤認の論旨)、被告人橋本勇の弁護人佐藤正治の控訴趣意第一点(事実誤認、理由不備、法令の解釈違反、審理不尽の論旨)、被告人渡辺録郎の弁護人柘植欧外同高橋正蔵の控訴趣意第一点および同補充趣意(事実誤認、理由不備、理由くいちがい、法令解釈の違反、審理不尽の論旨)、被告人渡辺録郎の控訴趣意(事実誤認)について、

本件訴訟記録(原審記録八八冊および当審記録二冊ならびに証拠物証第一号ないし第一一〇号)を精査検討し、原判決挙示の証拠ならびに原審および当審で取り調べたすべての証拠(ただし、後記認定事実に添わない部分はその余の部分と対比して措信しなかつたものである。)を総合考察すると、以下の各事実を認定するに十分である。

第一、被告人ら四名の略歴と相互の関係。

その一、被告人らの略歴-被告人北原治三郎は、岐阜県立本巣中学校(旧制)三年を中途退学後、父治郎吉の営んでいた毛皮および皮革製品の製造販売業を手伝い、昭和一七年ごろ株式会社北原商会を設立して以来は、同会社の代表取締役として毛皮および皮革製品の製造販売業に従事していたが、昭和二四年末ごろ輸出製品の値下りのため約千五百万円の借財を負担し、昭和二五年ごろから昭和二七年春ごろまで、東京都中央区銀座三丁目七番地に前記北原商会支店を設け、いろいろと事業を計画し、またはブローカーの仕事に従事し再起を図つたが成功せず、失意の状態にあつたもの(その間父所有の山林を売却するなどして、右借財の一部弁済をしたため、昭和二七年一二月現在において、右借財は約五百万円程度に減少していた。)被告人橋本勇は、昭和二四年春東京都所在の紅陵大学専門部経営科を卒業し、岐阜市内でパン製造業者に雇われたり、月賦建築の仕事をしたが失敗し、昭和二五年六月ごろ同市高野町で株式会社丸井の商号で繊維製品の卸商を始めたが、約五百万円の借財を負担して同会社を閉鎖、その後同市内で昭和産業株式会社の商号で繊維ブローカーをしていたが、昭和二一年九月一一日ごろ岐阜地方裁判所で窃盗罪により懲役一〇月、四年間刑執行猶予の言渡を受け、次いで昭和二八年六月二七日ごろ東京高等裁判所で窃盗罪により懲役一年、五年間刑執行猶予の言渡を受け(昭和二九年四月上告棄却決定)、さらに昭和二五年一二月ごろ詐欺罪で岐阜地方裁判所に起訴せられ本件とは別に公判審理中であつたもの、被告人小木曽比奈次は、岐阜県立農林学校を卒業し、同県内務部山林課に勤務していたが、右在職中昭和八年一〇月一四日ごろ名古屋控訴院で強姦致傷罪により懲役三年に処せられて服役し、出所後岐阜市村雨町所在の合名会社国六材木店に雇われ会計事務員として勤務し、昭和一八年四月ごろ木材建築業を目的とする岐東工業株式会社の専務取締役に就任し、昭和二三年ごろ現住所に資本金十九万八千円の三共木材株式会社を設立してその代表取締役となり、独立して木材販売業ならびに建築請負業を始めたが昭和二五年ごろ岐阜市内ハルピン町住宅組合に建築用木材を納入して約三百万円の債権を焦げつかせ、昭和二六年ごろ同市長良川畔の納涼博覧会の用材を売り込んで、約二百五十万円の債権を焦げつかせ、さらに取引先の十六銀行や岐阜信用金庫に数十万円の借財を負担して失敗し、昭和二七年四月ごろ同市長住町三丁目四番地所在の物品月賦販売方式の金融業を目的とする日東セールス株式会社の代表取締役に就任したが、同年一〇月ごろ相互銀行法違反の容疑で当局の取締が始まることを耳にしたので、さつそく営業をやめて清算状態にはいるという始末で、ことごとく事業に失敗をつづけてきたもの、被告人渡辺録郎は、昭和二〇年三月津島中学校(旧制)を卒業し、同年六月ごろ大蔵省税務講習会名古屋支所に入所中に応召、守山野砲隊に入隊、同年一一月ごろ復員し本籍地で農業を手伝い、昭和二一年八月ごろ名古屋市西区児玉町所在の宇佐美印刷所に就職してセールスマンとなつたが、昭和二二年一月ごろ退社、同年六月ごろから同市中村区広小路通で紫音堂の商号でラジオなどの電気器具商を始め、その後資本金五十万円の株式会社紫音堂を設立してからは、その代表取締役になつたが、昭和二五年八月ごろ朝鮮戦争ぼつ発直前の不況が原因で資金のやり繰りがつかずして営業不振に陥り、約四百万円の借財を負担して同社を閉鎖、昭和二六年一〇月ごろ同市中村区禰宜町所在の産業会館に事務所を設け、桜産業の商号で清涼飲料水(シロップ、ジュース)の製造販売を始めたが経営は思わしくなかつたものである。

その二、被告人ら相互の関係-被告人北原治三郎と同橋本勇は、昭和二六年暮ごろ東京都所在の前記株式会社北原商会支店において、被告人北原治三郎の妻の弟、花井静男の紹介で知合い、昭和二七年四月ごろ被告人北原治三郎が右支店を閉鎖して本籍地の岐阜市に引き揚げたのち同年夏ごろ、被告人橋本勇の仲介で北海道の商人に子供用えり巻、皮手袋、皮ヂャンバーなど総額約八百万円相当のものを売却することとなり、第一回納品として約二百万円相当の現品を被告人橋本勇の実家である岐阜市吉津町二丁目坂井田勇一方に納品したところ、金五十万円の手付金を受け取つたのみでその品物は被告人橋本勇の債権者に差押えられ、ようやく債権者からこれを取り戻したものの、すでに時機を失し投げ売りせざるを得ず、けつきよくそれがため約五十万円の損害を被つたものである。被告人渡辺録郎と被告人橋本勇が知合つたのは、昭和二七年九月か一〇月ごろ名古屋市中川区長良町安藤美喜雄方において、被告人渡辺録郎の中学時代の友人牛田善規から紹介されたのがはじめてである。牛田善規は、被告人渡辺録郎が前記紫音堂を経営していたころ、愛知県中村警察署の交通巡査をしていたが、その後安藤美喜雄方に間借りして同人が約四百万円の借財を残して手をひいた三星産業株式会社(旧安藤物産株式会社)という金融会社の代表取締役となつてその整理にあたり、被告人渡辺録郎が被告人橋本勇を紹介されたとき同被告人は皮手袋、皮ヂャンバーその他の皮革製品を携えて安藤美喜雄方に身を寄せていたのである。被告人小木曽比奈次は、被告人橋本勇の妻和子の叔父で同被告人らの結婚の世話をし、同人らと昭和二四年ごろから親しく交際していたものである。被告人北原治三郎と被告人小木曽比奈次は、昭和二七年七、八月ごろ被告人橋本勇方で同被告人から紹介されて知合つたものである。被告人北原治三郎と被告人渡辺録郎および被告人小木曽比奈次と被告人渡辺録郎とはそれぞれ本件財務経済会においてはじあて知合つたものである。

第二、財務経済会(以下財経と略す。)開設の経緯および財経と被告人らとの関係。

その一、財経開設の発端-昭和二七年一〇月ごろ、被告人橋本勇はこれという定職をもたず、被告人渡辺録郎も清涼飲料水の商売がうまくゆかず困つていたが、前記牛田善規、安藤美喜雄らと共に事業資金をつくることについて相談の結果、被告人橋本勇の提案により、当時いわゆるまち(街)の利殖機関として盛大に営業をしていた保全経済会(以下保全と略す。)や白十字経済会(以下白十字と略す。)が、匿名組合(商法五三五条以下)の方式で一般大衆から多額の金員を出資金名義の下に受け入れているのを模倣し、同じ方法で一般大衆から金を集めてはどうかということになつた。当時被告人橋本勇は、すでに保全の内幕記事を載せた「週間朝日」などによりその方の知識をもつていたもののごとく匿名組合の方式で集めた出資金は、営業者の財産に帰属してその事業のため自由に使用され、年末精算の上利益があれば出資者にこれを分配するが、損失となればそれは出資者の負担に帰し、営業者には出資金返還の債務はなく、また別段法律上の責任を負わないものと理解していたのでその旨を話したところ、万一事業がつぶれても逃げ手はあるということで被告人渡辺録郎、牛田善規、安藤美喜雄らもこの提案に賛成するにいたつた。そして一一月中旬ごろ被告人橋本勇、同渡辺録郎において、名古屋市中区大津橋電停前の保全名古屋支店および同市中村区水主町電停前の白十字名古屋支店に客を装つて赴き、各同支店の職員から事業内容の説明を受け、営業案内書その他宣伝用のパンフレットなどをもらい受け、また各同会の規約、出資契約書などを写しとり、これらの資料を参考にして財経開設を協議決定した(安藤美喜雄は信用できない人物として除外された。)。そしてまず、匿名組合方式による出資方法として、現金出資は一口千円以上、契約期間は三ケ月、ただし解約自由、配当金は月五分毎月払のこと、株式出資は一口千株以上、契約期間は三ケ月、配当金は時価換算の上月四分毎月払とし、出資者にとり保全や白十字より一段と有利な条件を付することとし、その匿名組合契約書および会の規約の草案作成方を前記産業会館内の計理士田島淳に依頼し、一一月下旬ごろ被告人橋本勇、同渡辺録郎両名は相共に上京し、東京都日本橋付近の保全本店および同都新宿区歌舞伎町の白十字本店に客を装つて赴き、職員の客に対する説明応対ぶりを見学し、営業係に会つていろいろと事業内容の説明を受け、また営業案内書その他宣伝用パンフレットをもらい受け、東京から帰つて田島計理士の紹介で弁護士大池竜夫に会い、同人の鑑定的助言を受け、同計理士から財経の規約と匿名組合契約書の草案を受け取つた(右契約書中に大池弁護士の意見により、配当金は前渡による分割払で後日決算期に精算を行う旨の一条項を加えたが、被告人橋本勇、同渡辺録郎らにおいてこれを行う意思はなかつた。)。次いで被告人渡辺録郎の考案で、会の名称を正式に「財務経済会」と定め、マークを天宝銭の型にZ、K、Kを入れと定め、財経発足に必要な匿名組合契約書、入会申込書、出資証券、営業案内などの印刷を牛田善規の知合いの名古屋市中村区楠橋付近の印刷業興英社に注文した。

その二、財経理事長の選任-昭和二七年一一月ごろ被告人橋本勇、同渡辺録郎、牛田善規の三名は協議の上、財経の理事長には相当の年配で社会的信用のある人物の就任が必要であるとし、まず牛田善規において、元陸軍造兵廠高蔵工廠長であつた名古屋市瑞穂区白竜町居住の安藤彦次に理事長就任方を交渉したがこれを拒絶せられたので、被告人橋本勇において前記のようにかねて取引上迷惑をかけている被告人北原治三郎に白羽の矢をたて、同年一二月上旬ごろ丁度そのころ商用で北海道旭川市宮下通九丁目恵比寿屋旅館に滞在中の同被告人に対し、書面をもつて財経の計画の概要をのべ、かつ、必ずプラスになる旨力説して理事長就任方を依頼し、同書面に理事長の就任承諾用紙、理事長の印鑑使用委任状その他財経の匿名組合契約書、営業案内、入会申込書などを同封郵送したところ、一週間ぐらいのち同被告人から理事長就任承諾の返事があり、ここに被告人北原治三郎の財経理事長就任が確定し、同被告人は昭和二八年一月二日ごろはじめて財経本店(後記若松町所在)に出勤し、被告人橋本勇から改めて財経の計画や匿名組合方式の説明を受け、大いに乗り気になつたものである。

その三、財経開設の資金-前記のように財経発足に必要な印刷物の注文もおわり、いよいよ事務所設置の段どりになつたが、被告人橋本勇、同渡辺録郎、牛田善規の手もとはいずれも無一文で不如意の状態にあつたので協議の結果、手形でオートバイを買入れこれを担保にして当座の資金をねん出せんことを企て、名古屋市中村区太閤通三丁目三八番地の中部モータース商会から、昭和二七年一二月上旬ごろ被告人渡辺録郎名義の小切手および約束手形でポート、ロビン号オートバイ一台(価格十四万五千円)を、その四、五日のち被告人橋本勇名義の約束手形で同様のオートバイ一台を各買い入れ、直ちにこの二台を同市中区南大津通三丁目二番地の金融業、内外殖産株式会社に質入れして合計十六万円を借り受け、そのうち金四万円を中部モータース商会に頭金として支払い、残金をもつて賃料(半年分)保証金、仲介人の手数料など約十万円を支払つて同市中区若松町八番地の一所在の歌舞伎ホテルの階下一室を事務所に借り受け、同月十三日ごろ浅野和子ほか一名の職員を採用し、同月十五日財経本店として発足するにいたつたのである。

その四、被告人小木曽比奈次の参加-同被告人は、昭和二七年一二月一二日ごろ被告人橋本勇から、「こんど名古屋で事業をやるあす使用人を採用するが若い者だけでは都合が悪いからその選考に立会つてくれ。」と頼まれたが、当時前記日東セールスは廃業状態にあつたのでこれを承諾し、その翌日前記財経本店に赴いて職員応募者の選考に立会い、さらに被告人橋本勇の懇請により財経の運営に参加することを承諾し、同月一七日ごろから同本店に出勤するにいたつたものである。

第三、財経の機構。

その一、財経本店の機構-財経本店の事務所は、開設当時から前記のように歌舞伎ホテルの階下の一室にあつたが、事務の激増複雑化および職員の増加によつて手狭となつたので、昭和二八年二月二三日ごろ名古屋市東区布池町三二番地大洋ビル五階二号室の一を賃料一ケ月二万六千円で借り受け(明電舎監査役多武良哲三の保証以下同じ。)、三月五日ごろ同ビルに前記歌舞伎ホテルの事務所を財経本店営業部と残して移転し、同ビルの事務所を財経本店総務部と称し、さらに同月二〇日ごろ同ビル五階二号の二および三を賃料一ケ月四万六千円で、六月三〇日ごろ同五階三号室を賃料一ケ月五万三千円で、七月二三日ごろ同ビル四階一号室を賃料一ケ月二万六千円で、八月一九日ごろ同ビル地下室の一部を賃料一ケ月三千五百円で順次借り受け、けつきよく同五階全部と四階一室を借り切るにいたつた。財経開設当時における本店内部の事務分担は、理事長被告人北原治三郎の下に、庶務係、会計係および渉外係に分れ、庶務係(記帳、証券発行など)は被告人小木曽比奈次、会計係(会計事務、職員の身許調査など)は牛田善規、渉外係(出資の勧誘、宣伝広告など)は被告人橋本勇と同渡辺録郎がそれぞれその責任者となつた。昭和二八年三月ごろ職制を定め、理事長被告人北原治三郎の下に課長制を設け、業務課長(兼、企画宣伝室長、秘書室長および調査室長)は被告人橋本勇、庶務課長は被告人渡辺録郎、経理課長は被告人小木曽比奈次がそれぞれ就任し、各課長の下に係長制を設けた。同年九月一日ごろ財経総務部の名称を廃して財経本店と称し、さらに職制を改め、理事長被告人北原治三郎の総括主宰の下に三部一室数課を設け被告人橋本勇は業務部長として宣伝課、地方課、取次店課を、また秘書役として企画室、人事課を統括して、宣伝広告、支店出張所などの開設関係事務を担当し、被告人渡辺録郎は総務部長として庶務課、用度課を統括して、用度品の調達、文書の発受など庶務関係の事務を担当し、被告人小木曽比奈次は経理部長として本店経理課、支店会計課、取次店会計課を統括して、金銭出納、株式出入、保管などの経理関係事務を担当したが、本店機構上事業投資事務を担当する部課は存在しなかつた。なお同年三月ごろ被告人北原治三郎の提案により、後記のように被告人ら全員の幹部で財経運営委員会(理事会ともいう。)を組織し、財経運営に関する重要な事項について協議決定し、理事長被告人北原治三郎の決裁を経て実行に移された(牛田善規も当初は右委員会に参加していたが昭和二八年七月ごろ脱落した。)。しかしかかる合議制をとつたが、被告人橋本勇の発言力はきわめて強く、財経運営に関する方針についてはやや独裁的傾向すらうかがわれたことは否定できない。

その二、財経の支店、出張所、取次店(以下支店等という。)――財経の支店等(取次店は昭和二九年九月ごろから設けられた。)の開設に当つては、まず被告人橋本勇において、同種の利殖機関や他の金融機関の分布状態を調査し、その開設地区について一応の案をたて、理事長、幹部たる他の被告人らの承認を受けたうえその地方新聞紙に「支店事務所を求む。」旨の広告を掲載し、これに対して事務所を貸す旨の申込があると、その申込者と交渉して事務所の賃貸借契約を結び、次いで同新聞紙に支店長ならびに職員募集の広告を掲載し、応募者に面接しその身元調査をして適任者を採用するという方法をとつた。そしてそのような方法で、被告人各分担のうえ、昭和二八年一月から同年一二月までの間にほとんど全国に亘り支店、出張所を開設した。その開設の増加状態(累計)は、一月は四ケ所、二月は一五ケ所、三月は三八ケ所、四月は五一ケ所、五月は六二ケ所、六月は八五ケ所、七月は一一二ケ所、八月は一四四ケ所、九月は一八五ケ所、一〇月は二四七ケ所、一一月は三一四ケ所、一二月は三四五ケ所で、その間別に取次店が二〇ケ所設けられた。右支店出張所を都道府県別にみると、愛知県二八ケ所、三重県二〇ケ所、岐阜県一六ケ所、静岡県二〇ケ所、長野県一四ケ所、福島県一一ケ所、群馬県七ケ所、栃木県一ケ所、千葉県一ケ所、東京都二ケ所、神奈川県一ケ所、新潟県一三ケ所、富山県七ケ所、山梨県四ケ所、青森県九ケ所、岩手県一〇ケ所、秋田県一〇ケ所、山形県八ケ所、石川県七ケ所、福井県一〇ケ所、滋賀県五ケ所、奈良県六ケ所、和歌山県七ケ所、京都府一ケ所、大阪府五ケ所、兵庫県三ケ所、鳥取県七ケ所、岡山県一〇ケ所、広島県五ケ所、島根県二ケ所、山口県六ケ所、香川県八ケ所、徳島県六ケ所、高知県一ケ所、愛媛県一五ケ所、福岡県八ケ所、佐賀県五ケ所、長崎県六ケ所、熊本県六ケ所、大分県一ケ所、鹿児島県三ケ所、北海道三一ケ所であつた。財経本店営業部および各支店等は、いずれも独立会計をもたず、もつぱら財経本店の監督の下に出資の募集勧誘、入会申込の受付、配当金の支払および解約時または、満期における出資元金の返還などの事務を取り扱うだけで、いわば本店と出資者間の取次機関にすぎなかつた。そして各支店等において、出資者から現金出資を受けたときは、その一五%を配当金および返還出資金の支払準備金として手もとに残し、その余の八十五%を毎日郵便がわせで本店に送付し、株券および投資信託証券の出資を受けたときは、全部現物でこれらを本店に郵送し、店の経費、職員の給料など人件費はすべて本店から送付を受け、毎月精算して残金があれば翌月分に回わし、不足分があれば本店に請求して追加送付を受けていたのである。被告人らがこのように財経の支店等を増設したことは、財経の赤字増加の一因をなしたのであるが、その反面、地方の出資者を募集するための広告宣伝費が割安に済むので、右赤字を補うて余りあるものと考えていたのである。

第四、財経の出資募集の手段方法。

その一、出資募集に関する宣伝広告ならびに勧誘方法の決定実施-財経における出資募集に関する宣伝広告の立案企画は、財経本店において主として業務関係の責任者たる被告人橋本勇自ら、またはその指導監督下に宣伝課員中西亨三その他の部下職員の手によつてなされたが、その決定実施については前記運営委員会の協議を経たもので、右委員会組織以前においても、理事長被告人北原治三郎の承認(事前または事後)決裁を受けたことはもちろん、経理、庶務の関係において被告人小木曽比奈次、同渡辺録郎の各承認を経たものである。本店営業部および各支店等における宣伝広告は、本店の指示(主として開設当時関係被告人らの指導)により、本店から送付を受けた資料に基いて行われ、支店長その他の職員によつてそれらを逸脱した独自の裁量方法によることは堅く禁じられていたのである。

その二、出資募集に関する宣伝広告ならびに勧誘の手段方法-出資希望者(客)に対する応対勧誘、入会申込の受付等はもつぱら店頭においてすることとし、外交によることは絶対にこれをしないこととした。それは事故の防止と経費の節減を目的として保全のやり方を模倣したものである。宣伝方法は、新聞広告、民間ラジオの広告放送(「明日の案内」「財務アワー」など)、飛行機によるチラシ散布、宣伝カーによる巡回、名宝劇場のスライド広告、新歌舞伎のプロマイド広告等、あらゆる宣伝機関を動員して行い、なかんずく新聞広告は、三晃社、有効社、万年社、日本通信社などの広告業者を通じ、中部日本新聞をはじめ全国および地方の有力紙に掲載することとした。そのほか新聞の折込みビラ、営業案内等のパンフレット、あるいはポスター、カレンダーなどの配布、市内看板、アドバルンの利用もした。一番最初の新聞広告は、昭和二七年一二月一五日中部日本新聞紙に掲載されたもので、逐次全国紙および地方紙に及ぼされた。営業案内は、最初は昭和二七年一二月一七日ごろ興英社納入の、表紙に「打出の小槌の絵の入つたもの」約三千二百枚、次は昭和二八年二月および四月、長屋印刷会社納入の、表紙に同様「打出の小槌の入つたもの」約二万枚、次は同年六月同印刷会社納入の、表紙に「名古屋城の絵の入つたもの」約十二万二千枚、次は同年六月ないし八月同印刷会社納入の、表紙に「花(らん)の絵の入つたもの」約十一万四千枚、次は同年九月ないし一二月同会社納入の、表紙に「ビルヂングの絵の入つたもの」約四十七万二千枚をそれぞれ店頭などで使用した。ラジオ放送による宣伝は、主として万年社を通じて信越、四国、中国、静岡などの民間放送によりスポット放送をしあるいは、財務アワー(娯楽番組)を放送した。さらに同年九月ごろ「財経旬報」を発行し、その号外特報として同年一〇月ごろ名古屋タイムス社で「国民の祭典」と題するもの約五百万枚、同年一一月から一二月までの間名古屋タイムス社および岐阜タイムス社で「財経は何故月五分もの高率配当ができるのか」と題するもの約八百十七万枚、同年一二月東海新聞社および大洋社で「街の利殖機関法制化ついになるか」と題するもの約五百七十六万枚、同年一一月ごろ岐阜タイムス社で「何故保全経済問題の真相を知ろうとしないのか」と題するもの約七百三十四万枚をそれぞれ印刷配布し、その他多数のチラシ広告などを印刷配布したのである。

その三、出資募集に関する宣伝広告ならびに勧誘の内容。

一、各種宣伝広告に共通する内容-新聞広告、営業案内、その他印刷物による財経の宣伝広告の内容は、多種多様であるが、その全部に共通した一連の事実は、虚偽にしてかつ誇大に満ちたものであつた。すなわち、財経は、開設以来終始後記のように、約定による高率の配当金の支払および解約時または満期における出資元金の返還を確実に履行できるだけの利益をあげうる実質的な投資事業をなに一つ経営せず、右配当金および出資元金はもちろん、宣伝広告費、印刷費その他本店、支店等の諸経費などを含むばく大な必要費を、順次あとから入つてくる出資金でまかなうという、いわゆるタコ配当および自転車操業(自転車は走つている間は倒れないが停止すれば倒れる。それと同じように企業が赤字状態で操業を停止すれば直ちに倒産するので、操業を続けられるだけ続けていくという方法をいう。)の方法をとり、財経の経理面は赤字激増の一途をたどりつつあつたのにかかわらず、これをヒタ隠しに隠し、あたかも財経は匿名組合方式による堅実安全な大衆の利殖機関であつて、後記、秋田の鉱山、元千種造兵廠跡の払下問題など、いかにも堅実有望な事業に投資し、かつ多額の資金を保有するもののように装い、普通出資(後記特別出資の名称に対す。)として、イ、現金出資は一口千円以上、配当金は毎月払五分以上、契約期間は三ケ月、ただし解約自由とし、ロ、株式出資は一口百株以上、配当金は毎月払四分以上、契約期間は三ケ月(評価は株式市場の前日終値。)とし、ハ、投資信託証券出資は一口以上、配当金は毎月払一分五厘以上、契約期間は三ケ月(評価は最近の時価手取額、ただしこの出資方法は昭和二八年一月に追加された。)とし、大衆にとつて最も有利確実な投資方法であるとし、財経の組織は、現在アメリカで非常な発達をとげ、かつ好評を博している投資銀行(インベストメント、バンク)の事業形態および内容を取り入れたもので、日本経済に適合し大衆の利益を図ることを目的とするものであるとし、その経営方法としては、出資金を常に大資本に結集し、最も合理的に資本主義経済の理論と実践を文化的かつ科学的に応用し綿密な調査のうえ、これを不動産部門、生産部門、株式部門にそれぞれ投資運営し、絶対責任をもつて資産の利殖を行つているので、まちがいなく約定の配当金を支払い解約時または満期において出資元金を返還することができる旨、宣伝広告した。

二、店頭における出資募集の勧誘方法-前記宣伝広告のほか、店頭において客に応対する際は、「財経はブラジルから千万円二千万円と資金を導入して設立されたものでブラジルにバックがある。その後ブラジルから一億、二億と資金が集りそれが財経の資産になつている。」とか、「財経の事業は、ダンピング品を現金で安く買い入れこれを手形で高く転売してもうけたり、あるいは株式の買い占めをして株価を引きあげ、しかるのちこれを売却してもうけ、または不動産を一口まとめで安く買い入れ、これを分割して高く転売してもうけるなどして確実に配当金以上の利益をあげうる事業をしている。」とか、「今後は広告塔を建設してもうける計画をしているから、絶対確実に出資者の利益になる。」旨虚偽の事実を宣伝したこともある。また客に対しては、匿名組合の本質の説明を避け、財経の規約や匿名組合契約書はなるべく客に見せないようにした。

それは同契約書第四条の規定によれば、出資金の返還は必ずしも確実に保障されておらず、また配当金も一応の前払金にすぎずあとで精算することとなつているので、これを客に明らかにすれば出資募集に応じる者はきわめて少くなることを恐れたからである。それゆえ入会申込書や匿名組合契約書になすべき出資者の署名押印は、手続の簡便化に口を借りて、おおむね職員がこれを代行することとし、客に対して、匿名組合というものは出資者の住所氏名を秘匿して利殖を楽しむ点に意味があるのであると巧みに説明勧誘することとし、これらの方法は、本店営業部、各支店等の職員によつても実行せられた。試みに店頭における客との質疑応答をみるに、その要領はおおむね次のようなものであつた。イ、財経創業の歴史について尋ねられたときは、「同業の保全や白十字も、みなごく最近に生れた新しい事業で十年二十年という古いものではもちろんない。わたくしどもはごく最近の駈けだし者ですからよろしく願います。」というふうに答え、ロ、理事長の人物について尋ねられたときは「北原理事長は岐阜県の出身で年令四五才前後、貿易界の人物である。政治家ではないが政界につながりをもち、もつぱら財経の仕事の関係で東京に行つている。」というふうに答え、ハ、匿名組合の性格について尋ねられたときは、「匿名組合は商法の規定による組合の一種で財経の組織がそれである。出資者には出資とともに財経の会員になつていただき、理事長は北原治三郎で、わたくしらは組合の事務員です。そして匿名組合の名称のとおり出資者は自分の名前を秘密にしてだれにも知られずコッソリ利殖が楽しめる。」というふうに答え、ニ、財経の預金や出資金はどのぐらいあるかと尋ねられたときは、「それはわたくしたちのさいふをはたいて見せよというようなことですからお許し願いたい。まさか千円や二千円ではない。」というふうに答え、ホ、財経はどんな事業をしているかと尋ねられたときは、「当会は営業案内書に書いてあるとおり、不動産部門や株式部門などに投資しているが、詳しいことは同業者との関係もあつて申し上げかねる。なぜならば、証券投資の場合を例にとれば、どういう銘柄の株をどれだけいつ買うというようなことを発表してしまえば、株式市場を操作することもできないし、従つて利益を得ることも非常に困難になることはおわかりと思う」というふうに答え、ヘ、財経はなぜ月五分の配当ができるのかと尋ねられたときは、「出資後一ケ月未満の解約者には配当をつけないから、例えば出資後五十五日目に解約しても一ケ月の配当しかつけないので、この場合財経としては一ケ月金を使わせてもらうことになる。このような解約者を見込めば会全体の金利は月三分前後になるので実際はたいしたことはない。」というふうに答え、どこまでも匿名組合の本質や財経の実態を知らさず、財経が堅実安全な利殖機関であると思い込ますように応待したのである。

三、財経の内容虚偽の貸借対照表を掲載した昭和二八年度上半期決算報告書の広告宣伝-昭和二八年五月末ごろ、財経は出資高の急増を図らなければ配当金、出資元金その他の諸経費の支払にも困る状態にあり、また六月二〇日ごろ中部日本新聞社から広告業者有効社を通じ、七月一日以降は職員募集、決算報告など臨時の広告を除き、それ以外の利殖機関の営業広告は一ケ月全三段(百五十種)以内に制限する旨の通知を受け、従来新聞広告に主力をおいていた財経の被る影響は大きく、時あたかも財経津支店職員を中心とする財経三重従業員組合から夏季手当の要求および経理公開の要求がなされていたので、被告人橋本勇の発案で、右広告制限外の決算報告書の形式で財経の経理面を虚偽過大の貸借対照表(ただし、繰越益金を少くする。)として発表公開すれば、一面大衆の信用を獲得して出資の増加を図ることができ、他面前記組合の労働攻勢に対処することもでき、いわゆる一石二鳥の方策であるとし、他の被告人らの承認のもとに、職員中西亨三をして有効社を通じ全国地方有力紙に全三段スペースをもつて財経の決算報告書を掲載広告する旨紙面の予約を申し込ましめてその広告料の見積書を提出させ、その金額支出についても他の被告人らの承認を得、七月三日ごろ被告人小木曽比奈次に財経の昭和二八年度上半期決算報告書の作成に必要な資料の整理提出を要求した。よつて同被告人は部下職員を督励して出資金関係、配当金関係、経費関係、銀行預金関係などの各資料を整えて、財経の昭和二八年六月三〇日現在における試算表を作成し、これを被告人橋本勇に提出した。その試算表によれば、同日現在における財経の、出資金総額は約七千万円、株券出資総額は約二千七八百万円、手持現金は約千二三百万円で、配当金、諸経費等の支払に約三千万円を支出し、この金額が財経の赤字となつていた。しかるに被告人橋本勇は右数字を無視し、勘定科目ごとに日付、金額について全くでたらめの数字を用い、右同日現在における財経の、出資総額は約六億円、不動産、動産の見積価格は約八億円、買掛金は約二億円、解約準備金は約五千万円、資本金は約一億円、余剰利益金は約一億六千万円、繰越益金は約八十万円とし、被告人小木曽比奈次と相談して支店会計課長多和田守夫をして右計数に基く貸借対照表を作成せしめ、被告人渡辺録郎においてこれを名古屋市南区笠寺町居住の計理士斎藤鈴男に見せて意見を求め、かつ追加配当を大体百万円の線で押え、三月三一日以前の出資者に対してのみ支払うこととし、さらに職員に怪しまれぬように、南部地区および北部地区から出資があつた旨の出資明細書や架空会社に投資した旨の書類その他でたらめの数字の裏付書類を調製して備え付けることとし、他の被告人らの承認のもとにこれを広告することとし(なお、運営委員会で匿名組合契約書第四条の決算期における利益配当の条項に、現金出資は百五分の五十、株券出資は百五分の四十、投資証券出資は百五分の十五とする配当規定を追加した。)、有効社の取扱で、七月一二日付中部日本新聞紙に全三段広告として掲載し、同月三〇日までの間に北国新聞、信濃毎日新聞、日本海新聞、滋賀新聞、中国新聞、伊勢新聞、読売新聞(大阪)、静岡新聞などの地方新聞にも掲載し、かつ追加配当をも実施した。そしてその後の営業案内などパンフレットには、右決算報告書のような利益をあげたように記載したが、これらのため相当出資の増加をみたのである。

四、いわゆる保全旋風に際しての宣伝広告-昭和二八年一〇月二四日突如保全休業のニュースが発表されたが、そのとき被告人北原治三郎は上京中、被告人小木曽比奈次は九州出張中で、被告人橋本勇と同渡辺録郎は財経本店にいた。時を移さず被告人ら幹部間に電話による連絡がなされ、被告人橋本勇において臨機の処置の陣頭指揮をとることになり、保全旋風の波及による財経の休業および内情発覚を防止すると同時に、大衆心理の逆をねらい、これを機会にさらに出資の獲得をなすべく狂奔した。すなわち、被告人橋本勇はすでにこのことあるを察知せるもののごとく、驚嘆に値いする機敏な腹芸をうつた。当時財経の出資総額は約七、八億円の巨額に達し、事業投資による利益はなんらあがつていなかつたものの、そのころ財経本店においては手持現金および預金など約二億円を保有し、会の運営操作自体にはさし迫つて支障はなかつたが、全部の解約申込にはとうてい応ずることはできない客観状勢にあつた。被告人橋本勇、同渡辺録郎は協力のうえ、保全旋風の影響で解約者が激増してくるのを知るや、部下職員をして保有の株券、投資信託証券を売却換金せしめる一方、直ちに各支店等に対する指示書をタイプ印書せしめ、「謹告」と題し「同業の保全は休業したが、財経は保全とちがつて堅実な事業経営によつて利益をあげており、契約どおりいつでも解約に応ずることができるよう準備金を用意し平常と変りなく営業をしている。」旨のビラを印刷し、即日右指示書とビラを各支店等に急送し、また同旨のはり紙や「特報」を発行し、同月二六日早朝から解約資金を各支店等に送付して、札束を店頭に積ましめたが、客の心理を逆利用したこの苦肉の対策は効を奏し、各支店等の解約者を平均三十%、最も多いところで六十%に押え得たのである。次いで財経週報の号外として「特報」を発行し、「財経は何故月五分もの高率配当ができるのか?-しかもどんな時でも出し入れ自由-」と題し「保全休業以来財経はひとり解約自由を守り続けたが、世の中には一ケ月五分配当は決してなりたたないというものもあるが、財経は下にいくつも不動産売買の会社をもつている。」としてそのもうけ方まで数字で説明し、「同種の匿名組合中には投資者よりお預りした大切な金をタライ回しにしているところなきにしもあらずと思う。こうしたところは先般のような突発事態にはたちまち馬脚を現わすことは最早周知の事実である。正しい運営をしている財経の堅実性、将来性を広くご理解下さい。」との旨記載したビラを印刷配布したのである。

五、保全休業前後における特別出資募集の宣伝広告-九月二五日ごろ保全危しの声があり、財経の解約申込者も漸次増加する傾向にあつたので、被告人橋本勇において発案企画し、他の被告人らの承認を得て、左の特別出資を決定実施し、その募集のため大々的に宣伝広告をして、これに接した大衆をしてさらに財経を信用せしめた。

(1)  伊勢神宮参拝招待付特別出資-この出資方法は昭和二八年一〇月から実施されたもので、出資は一口現金五万円以上、契約期間は三ケ月で一ケ月は据置で解約を許さないこととし、普通出資の配当金一ケ月五分を支払うほか、一口の出資者ごとに出資の際、出資者の住居地から宇治山田市(現伊勢市)間の往復乗車券を交付し、参加者には宇治山田支店で記念品を渡す仕組になつていた。そしてそのころ、「財経旬報」の号外「特報」として「国民の祭典」と題し、「実に二四年振りの遷宮祭、数万人を無料にて招待、新資本主義の財経快挙! 財経が全国三百余ケ所の支店等を総動員して数万に上る伊勢参宮無料招待の計画を樹てている。-(裏面に)-誰れが為に財経はあるのでせうか? 御覧下さい。躍進する当会の姿、昭和二八年度上半期末計算の御報告としてなんと年七割八厘もの配当!」と印刷したビラを配布したのである。

(2)  招待付特別出資-この出資方法は昭和二八年一二月から実施されたもので、イ、松組は一口現金五万円以上、契約期間は三ケ月、普通出資の配当金一ケ月五分を支払うほか、出資者を出雲大社、善光寺、伊勢神宮の参拝に招待することとし、出資者の希望によりその住居地から右のうち一ケ所の所在地間の往復乗車券と宿泊代一泊分を出資の際に交付することとし、ロ、竹組は一口現金五万円以上、契約期間は六ケ月、普通出資の配当金一ケ月五分を支払うほか出資者の希望により案内人を同道させて伊勢神宮、出雲大社、善光寺、日光のいずれかに団体遊覧するもので、その間の旅費、宿泊料みやげ代など一切を財経が負担することとし、ハ、梅組は一口現金十万円以上、契約期間は一ケ年、普通出資の配当金一ケ月五分を支払うほか、日程十五日間で、国内の名所旧跡を一周するもので、その間の旅費、宿泊料など一切を財経が負担することとした。

(3)  抽選付特別出資-この出資方法は同年一二月から実施されたもので、契約期間内解約を許さず、一ケ月五分の配当のほか、出資の際、出資者に一口一本の抽選券を交付し満期後に抽選を行うことと定め、イ、雪組は一口現金千円以上、契約期間は一ケ年、抽選の賞金は特等二百万円一本、以下順次賞金がついて最低七円五十銭で空くじはないこととし、ロ、月組は一口現金千円以上、契約期間は六ケ月、抽選の賞金は特等百万円一本、以下順次賞金がついて最低三十円で空くじはなく、ハ、花組は一口現金千円以上、契約期間は三ケ月、抽選の賞金は特等五十万円一本、以下順次賞金がついて最低七円五十銭で空くじがないこととなつていた。

(4)  物品先渡特別出資-この出資方法は昭和二八年一二月から実施されたもので、一口現金二万円、契約期間は二十ケ月、手数料として千円を添えて出資すると、その際出資者に時価二万円のプリモミシン一台を渡し、契約期間満了後元金を返還するということになつていた。

第五、財経の投資事業と称するものの実体。

その一、協和興業株式会社(秋田の大比立鉱山および岩手の銅含有の残滓)の関係-同会社は、昭和二八年七、八月ごろ資本金五百万円(株金払込は見せ金)、代表取締役被告人北原治三郎および花井静男、専務取締役木内次男という顔ぶれで、東京都新宿区四谷四丁目二番地に設立された会社で、その目的は、秋田県北秋田郡早口村比立内にある面積約四十九万五千坪の銅、鉛、亜鉛等の鉱区(通称大比立鉱山、鉱区登録番号、秋田採掘権第六〇一号、元試掘権登録番号第一五二四四号)の採掘販売および岩手県宮古市近郊北又所在の廃鉱にある銅を含有する残滓約三千噸の搬出販売ということであつた。財経は同会社の事業に対し、同年五月ごろ(設立準備中)から一一月ごろまでの間合計約千万円を投資した。同会社は右投資金のうち約七百万円で大比立鉱山の鉱区所有者神田長造からその採掘権および設備一切を買い受け、目標一ケ月三十噸として人夫二十五、六名を使役して採掘作業にかかつたが、財経の方で資金をまとめて送らず、小口で何回かにわけて合計約三百万円程度を送つたため実績あがらず、銅含有量約四%の鉱石約五十噸を採掘したに止り、昭和二九年一月休業、岩手の銅含有の残滓の方は、当初これを日立製錬所に売り込み三、四百万円の利益を予想したが、事実は全く見込違いで、銅含有量はわずか三%程度で二車約十五噸を搬出して売却したが経費倒れとなり、昭和二八年搬出中止となつた。けつきよく、財経は同会社の事業により損失を被つたが、なんら利益を得るところとならなかつた。

その二、亜細亜工業株式会社(元千種造兵廠跡の敷地建物の払下)の関係-同会社は、昭和二八年一二月二八日ごろ資本金二千五百万円(株金払金は見せ金)、代表取締役志鎌一之(元名古屋鉄道局長)、取締役高野政造(高野建設株式会社社長、同山本洋一(日大教授、工博)、同南部貫一、監査役森元博親(日本稀元素研究所長)らの顔ぶれで、東京都文京区江戸川町五番地に設立された会社である。その目的は、名古屋市千種区内所在の国有財産である旧陸軍名古屋造兵廠千種製造所跡の土地約四万坪および建物数棟建坪一万坪につき、これを所管する東海財務局を通じて払下げを受け、同所に工場を建設して、超小型自動車の製造、自動車および鉄道車輌の修理などを業とすることであつた。そして同会社設立前から高野政造、森元博親、山本洋一、南部貫一、田中織之進(衆議院議員)らが中心となり、高野政造は資金調達関係、森元博親は一般企画関係、山本洋一は工場建設、操業技術関係、南部貫一および田中織之進は財務局当局との渉外関係をそれぞれ担当して準備を進め、その間右土地および建物につき一時使用権を有し、当時これが払下げ申請中の富士鷹産業株式会社代表取締役伊藤孝から右一時使用権を譲り受け、設立予定中の亜細亜工業株式会社の名で昭和二八年九月ごろ東海財務局に払下げ申請書を提出したが、同年一二月ごろにいたり、右地域が名古屋市の都市計画による公園緑地地帯の指定区域で、工場建設に支障のあることが判明したので、手続は停とんし払下げは決定しなかつた。財経は南部貫一、田中織之進らの懇請により、伊藤孝から右一時使用権を譲り受ける費用等として約二百五十万円を支出したが、これは同会社設立の際その株式出資金に切り替えられたのであつた。財経が同会社の主導権を掌握できる客観的情勢はなく、かりに同会社に右払下げがなされても、国有財産法二九条(旧国有財産法第八条)により、払下げ申請の使用条件に従つて右物件を使用すべき義務があるのであつて、その土地を分割売却して利益をあげるということは法的に不可能であつた。けつきよく財経は、同会社に約二百五十万円を出資してなんら利益を得るところがなかつたのである。

その三、アジヤ電気産業株式会社の関係-同会社は、昭和二八年九月ごろ資本金二百五十万円(株金払込は見せ金)、代表取締役被告人北原治三郎および大沢至の両名で、東京都千代田区大手町所在の野村ビル内に設立された会社である。その目的は、大沢至が発明した自転車用発電ランプ(乾電池に充電できるのが特徴)の製造販売を業とすることにあつた。財経は同会社に約二百万円を投資したが、右電池の特許はついにおりず、試作品約五十個を製作したのみで本格的製造にいたらず、昭和二九年三月ごろ休業し、財経はなんらの利益をもあげることはできなかつた。

その四、同心信用組合(のち、第百信用組合と改称)の関係-昭和二八年一〇月ごろ青木文平らから、同人らが東京都庁に認可申請中の金融機関である同心信用組合(許可申請区域は、目黒、文京、台東、千代田、その他二、三の各区で、仏教徒を中心とする金融層をもつ。)に対する資金(右申請を有利に導くための見せ金的資金)援助の懇請に基き、同月中旬ごろ財経から、約六百万円を北海道拓殖銀行支店に、同組合理事長青木文平名義の普通預金にし同人に対し、その現在高証明を利用させたが、その後財経の方で約四百五十万円を引きあげたので、右認可はおりず、同組合の別派のものが実権を握つて財経と手を切り、名称を第百信用組合と改めたもので、けつきよく財経は約百五十万円を出資してなんらの利益をもあげることはできなかつた。

その五、帝国昼夜金庫の関係-同金庫(理事長横山正 となつているが、本店はない。)は、財経の資金を補充するため、財経と同様の匿名組合方式をもつて、低利の出資募集をする目的で、昭和二八年一二月はじめごろ名古屋市中区松元町一丁目三二番地に同金庫名古屋支店を開設し、支店長に被告人北原治三郎の知人桜井綱吉が就任した。財経は、同支店の印刷費、宣伝費、設備費などに約八十万円を支出し、約四五十万円の出資金を受けいれたが、同年末で閉鎖し、財経の利益とはならなかつた。

その六、株式会社日本通信社の関係-同会社は、昭和二八年七月一一日ごろ資本金三百万円(株金払込は見せ金)、代表取締役近藤義雄で、名古屋市中村区納屋町一丁目見田ビル内に設立された会社で、その目的は、新聞広告の代理業で、財経の宣伝広告費の節減をはかることにあつた。財経は、同会社に開業費約百万円、新聞社の保証金など七十万円を支出し、同会社に新聞広告約七百万円を取り扱わしめたが、けつきよく広告費節減の実績はあがらず、昭和二九年一月休業するにいたつた。

その七、日本商事株式会社の関係-同会社は、昭和二八年八月二四日ごろ資本金千万円(のち千万円増資、株金払込はいずれも見せ金)、代表取締役被告人橋本勇、取締役被告人北原治三郎、同渡辺録郎、同小木曽比奈次らの顔ぶれで、名古屋市昭和区小坂町三丁目八番地(のち、中区朝日町二丁目に変更)に設立せられた会社で、その目的は、主として不動産売買であつた。そして財経は、同会社の名義を用いて以下のような取引を行つたが、これは財経の利益となるような投資事業というべきものではなかつた。すなわち、イ、昭和二八年一〇月一七日ごろ財経本店営業部の建設用地として、名古屋市中区岩井通り一丁目一七番地所在の宅地約百十七坪一合三勺を代金三百五十一万四千五百円で買い入れ、日本商事株式会社の名義に所有権移転登記をしたが、これはのちに後記名古屋新聞社に所有権移転登記がなされ、同社はさらに他にこれを三百五十万円で売却したが、財経または日本商事株式会社への入金となつていない。ロ、昭和二八年一〇月一日ごろ財経東京支店の店舗とする目的で、東京都台東区東黒門町六番地所在の木造スレート葺二階建家屋一棟について、所有者吉田福三郎、譲渡担保権者東京相互銀行(債権額五百万円)との間に、代金七百万円で売買契約が成立し、吉田福三郎に内金二百万円(他に什器備品代として約二十余万円)右銀行に残金五百万円のうち約百二十万円を支払つたが、残金を支払わなかつたので同銀行において右契約解除の途に出たため、その所有権の帰属に争いがあり不明のままである。ハ、昭和二八年一〇月一六日ごろ名古屋市瑞穂区堀田通り一丁目八地番所在の小池自動車株式会社(代表取締役小池勝)に対し、同会社所有の同所所在の宅地合計三百三十二坪および同上建物三棟を譲渡担保(買戻付約款売買ならびに賃貸借契約)として、金五百万円を貸与し、期間六ケ月利息(賃貸料)一ケ月七分の割合による金三十五万円と定め、同会社はその後昭和二九年一月までに利息合計約八十七万円を支払つたのに、財経において利息の支払遅滞を理由に前記イの物件とともにこれを後記名古屋新聞社に所有権移転登記をし、さらに同新聞社においてこれを他に約千百万円で売却したが、その金は財経にも日本商事株式会社にも入金となつていない。ニ、昭和二八年一〇月中旬ごろ前記同心信用組合の事務所に供する目的で、東京都台東区日本堤三丁目十番地所在の宅地二十坪および同上建物一棟建坪約三十二坪を代金百九十万円で買い受け、日本商事株式会社の名義をもつて所有権移転登記をして保有していたが、その後名古屋国税局に差押された。ホ、昭和二八年九月一〇日ごろ千葉県の栗原建設株式会社の社長栗原米蔵に対し、同人所有の東京都中央区日本橋馬喰町三丁目五番地所在の宅地二十九坪および地上建物一棟を譲渡担保にとつて、金二百二十五万円を貸与したが、その後財経の北海道出資者の術策にのり、同出資者に右譲渡担保付債権を譲渡させられてしまつた。

その八、日本金融株式会社の関係-同会社は、昭和二八年一一月ごろ金融業を目的として、資本金百二十五万円(株金払込は見せ金)、代表取締役被告人橋本勇で、名古屋市昭和区小坂町に設立されたが、貸金業の届出もせずなんらの事業もしなかつた。

その九、株式会社名古屋新聞社(元株式会社新日本タイムス)の関係-保全休業後有力新聞社が利殖機関の広告掲載を制限したので、財経において御用新聞にする目的で、昭和二八年一二月三日ごろ名古屋市中区仲之町二丁目所在の新聞会館内に、資本金千万円(そのうち二百五十万円払込見せ金)代表取締役広橋学で株式会社日本タイムスを設立し、同月二〇日ごろその商号を株式会社名古屋新聞社に変更した。財経は、同会社に約二百万円を投資し、前記のように日本商事株式会社所有名義の不動産を譲渡したが、同会社は昭和二九年四月ごろ一時日刊紙を発行したのみで解散となり、財経にとつてなんらの利益もあがらなかつた。

その一〇、新日本文化更生協会の関係-同会は、昭和二八年一一月はじめごろ京都市下京区五条新町上ル浅野霊聖が、保全の仏教保全経済会を模倣して、仏教徒を対象とし、匿名組合で月千円、十ケ月で合計一万円の出資を募集し、これに応募した者を宗教観光旅行に招待することとし、同人が理事長、久邇の宮を顧問として発足することとなつたが、財経は同協会の受け入れた出資金を月五分の利息で受け入れることの条件で、同協会の宣伝広告費、印刷費などとして約百万円を出資したが、けつきよく計画倒れとなつてなんらの利益をもあげることはできなかつた。

その一一、その他-財経は以上のほか、イ、昭和二七年七月ごろ職員の寮とする目的で、名古屋市昭和区小坂町三丁目八番地所在の宅地約五十一坪二合および地上建物一棟を代金百二十万円で買い入れ、これを休業時まで保有したが利益になつていない。ロ、昭和二八年八月ごろ静岡市所在の静神相互銀行の買収を企て被告人橋本勇の義父坂井田勇の名義で金五百万円を同銀行の普通預金にして内情を調査したが、その後買収計画は発展せず立ち消えとなつてしまつた。ハ、昭和二八年二月下旬ごろ明電舎の株式二万株を金四百万円で買つたが、その後転売して約百万円の損失を被つた。ニ、同年二月はじめごろ日本電装株式会社の株式五百株を金十六万円で買つたが、保全旋風直後売却したところ約五万円の損失を被つた。

第六、財経の宣伝広告に因る出資者の応募状況。

起訴状記載の出資者を含む本店営業部および各支店等所在地の出資者らは、いずれも前記財経の行つた新聞広告、ラジオ放送、営業案内等のパンフレットその他の印刷物や財経職員らの勧誘により、財経を、約定の配当金の支払および解約時または満期における出資元金の返還を確実に履行するに足る有利な投資事業を経営し、かつ相当の資産を有するところの堅実安全な大衆の利殖機関であると信用して出資したものであつて、同人らはほとんど匿名組合の本質や財経の実態についてはなにも知らなかつたというのが実状である。その出資状況は、昭和二七年一二月一八日ごろ若松町の本店事務所において、被告人渡辺録郎が愛知県海部郡佐屋町国鉄職員山田克己を前記方法で勧誘し、同人をして現金一万円を出資せしめたのが出資者第一号で、以来出資者は逓増し、出資金は、同年一二月末日現在において約六、七十万円、昭和二八年一月末日現在において約五、六百万円、二月末日現在において約千五、六百万円、三月末日現在において約三千万円、四月末日現在において約四千五百万円、五月末日現在において約六千万円、六月末日現在において約七千万円ないし一億円、七月末日現在において約一億五、六千万円、八月末日現在において約二億五、六千万円、九月末日現在において約四億円、一〇月二四日(保全休業発表当日)現在において約七、八億円、一〇月末日現在において約五億円、一一月末現在において約五億円弱、一二月末日現在において約四億四、五千万円、昭和二九年一月中旬現在において約四億三千五百万円に達した。(右各金額のうち、約三割が株券および投資信託証券で七割が現金であつた。)右のように出資額は保全休業の際最高の七、八億円に達したが、保全旋風の影響により約二、三億円の解約者を出し、そ後新規出資者は順次減少し、遂に原判示金額の未払焦付を出し、昭和二九年一月下旬ごろ完全に休業の状況にたちいたつたのである。

第七、財経の裏面と被告人ら幹部の内部関係。

財経は元々、被告人橋本勇と同渡辺録郎が、前記のように二台のオートバイを手形で買い入れ、これを質入れして金十六万円を調達し、これを元手として発足したもので、いわゆる事業資金の準備もなく、また堅実にして具体的な事業計画はなにもなかつた。その匿名組合契約書にうたい、宣伝これつとめた月五分(現金出資の場合)の高率配当を実施し、解約時または満期における出資元金の返還その他本店および各支店等の諸経費をまかなうには、少くとも月一割の利益をあげ得るような事業に出資金を投資運用しなければならないということや、かかる有利な事業をなさずして順次あとから入る出資金をもつて配当金の支払および、出資元金の返還をなし、その他諸経費をまかなう。いわゆるタコ配当および自転車操業の方法をとれば、早晩その支出に行きづまりを生じ、けつきよく出資者に財産上の損害を加えるにいたるということは理の当然であり、各被告人ら幹部において十分に認識していたところである。それゆえに、たとえば、被告人北原治三郎、同小木曽比奈次は、昭和二八年六月ごろ被告人橋本勇に対して、なにか事業を開始しなければ財経の経理面は赤字増加の一途をたどり早晩行きづまるであろうということや、また被告人北原治三郎において、そのころ被告人橋本勇に対して、自分が財経理事長として各支店長や出資者らに対し堅実有利な事業を行つていると宣伝している手前、まさかのときに言いわけがたたないということを進言した。これ財経の宣伝広告が財経の実情に反した虚偽誇大のものであることを認識しての心配からである。また被告人渡辺録郎は昭和二八年五月中旬ごろ被告人橋本勇の側近に勤めていた事務員柴山美代子(現在の妻)から婚約を求められた際、財経の行つていることの危険なことを告げられ、早く財経を脱会すべき旨勧説せられたのであつて、同被告人も前同様の認識を有していたものである。しかし被告人橋本勇は、六ケ月ないし二ケ年の長期出資を計画し、それらの出資金を大資本に結集して事業投資を行うべきであると主張し、被告人北原治三郎が持ち込んだ前記協和興業株式会社の事業などについても、あえて積極性を示さず、むしろ出資の募集に狂奔したのである。そして出資金は増加しても、それをタコ配当、出資元金の返還、その他の諸経費に費い、しかも仮払金名義のもとに被告人らのはでな飲食遊興費までまかなつたので、財経の経理面は赤字がどんどんと増加した。一面被告人北原治三郎が主となつて前記第五の事業に手を出したが、それ自体さしたる利益をあげうべき事業でもなく、いたずらにブローカーのふところを太らしめたぐらいで、ことごとく失敗に帰し、けつきよく失費のみかさみ、得るところはほとんどなにもなかつた。翻つて財経の経理面から概観するに、昭和二八年二月末日現在における出資総額は約千五、六百万円に達したが、配当金、出資元金の支払、本店および各支店等の諸経費のため約四百万円の赤字を生じ、同年六月末日現在における出資総額は約一億円に達したが、赤字は約四千万円に達した。同年一〇月末日現在において出資総額は約五億円に達したが、赤字は約二億円に達し、昭和二九年一月下旬ごろ財経が休業状態に入つたころは保有現金は皆無の状態で、ただ前記日本商事株式会社のような第二会社に投資した資産と、財経本店各支店等の備品、什器等が残つた程度で、しかもこれらの物件も源泉所得税未納付のため、国税庁から差押を受けたものである。被告人らはいずれも財経の幹部という連帯的地位にあり、特段の事情のない限り、財経の運営についてわれ関せずの態度をとつてその責任を回避し得ざる立場にあるのみならず、被告人らは昭和二八年三月から財経運営委員会(理事会ともいう。)を組織し、月三、四回定期的にまたは臨時に財経本店および名古屋市中川区八熊町畑代所在の旅館かもとめその他の料亭等において同委員会を開催し、財経の経営一般、すなわち出資状況、募集方法、経理状態などについて協議決定を行い、同委員会の決議によらないときは文書による禀議決裁の方法をとつたのであつて、被告人らは前記財経の宣伝広告、勧誘の虚偽誇大なることおよび財経内部の実状を相互に認識し合つていたのであり、このことは同年四月ごろの同委員会において、とくに被告人橋本勇が発言して、財経の秘密防止について説明し他の被告人らの協力を求め、財経の実態の暴露せざらんことを恐れていたことでも明らかである。

第八、被告人らの財経運営に関する出資募集行為の可罰的評価。

以上の各認定事実を総合して考察するに、財経は全国的な組織網を有し、堂々たる企業形態をもつて、公然かつ巧妙な宣伝広告、勧誘方法を用いて、財経がその実なんら前記高率配当、出資元金などの支払をなすに足りる実質的な投資事業をしておらず、かつ固有の資産を有しないのにかかわらず、これを隠しあたかも財経は堅実にして安全な投資事業を経営し、右配当金出資元金の支払を完全に履行し得べき程度の利益をあげている旨虚偽誇大の事実を流布しまた内容虚偽の貸借対照表を記載した決算報告書を広告するなど、悪質な欺罔手段を講じて大衆の利殖欲をあふり、その旨誤信した出資者から匿名組合出資名義のもとに現金株券投資信託証券などを交付せしめてこれを詐取したもので、いわば被告人らは法の盲点を利用した詐欺団体である。最初は被告人橋本勇、同渡辺録郎らの共同謀議の下に財経を開設して詐欺行為の実行行為に着手し、以来主として業務関係の責任者たる被告人橋本勇において同種行為を反復累行したものであるが、被告人北原治三郎、同小木曽比奈次らはいずれも被告人橋本勇の勧誘により、途中から右共同謀議に参画し、以来被告人らは共同意思の下に一体となつて財経運営の役割を果したものである。そして被告人らはいずれも前記虚偽誇大の宣伝広告勧誘と財経の実態の矛盾を認識し、かつ大衆においてこれらの宣伝広告勧誘を真実と誤信して匿名組合出資名義のもとに現金等を交付するものであることを認識していたのであるから、詐欺罪の確定的犯意を有せることは疑いのないところである。被告人らが出資者に対し、約定による配当金支払および出資金返還の意思を有し、いわゆるタコ配当および自転車操業の方法でこれを履行した事実があつたとしても、それは犯罪の発覚を防止し、さらに新規出資を詐取せんがための手段とみるべきであるから、右詐欺の確定的犯意を左右するものでない。(従つて契約による配当金の支払を受けかつ出資元金の返還を受けた出資者にして実害を被らなかつた者といえども、法律的には本件詐欺罪の被害者といわなければならない。)

第九、所論についての判断。

その一、被告人橋本勇の弁護人佐藤正治の論旨について。

一、同弁護人の論旨一は、被告人橋本勇らが財経を設立したのは保全等を模倣したのであるが、当時としては少くとも保全等は健全であり、法律上も行政上も取締の対象とならず、公然と営業を続けていた折であつたので、同被告人らとしては、合法的利殖機関と信じてこれを模倣する気になつたもので、このこと自体なんら非難すべきでないし、しかも財経の設立に先立つて専門家から匿名組合の合法性についてよく検討教示を受け、その規約を絶対合理的なものでその間なんら矛盾なしとして設立したものであるから、同被告人らに詐欺の犯意はないというのである。

なるほど、前記第二、その一において認定したとおり、被告人橋本勇、同渡辺録郎らは、当時公然盛大に事業をしていた保全や白十字の営業形態を模倣して財経を開設したもので、保全や白十字を合法的利殖機関と信じていたことは認められる。また財経開設につき、財経の規約および匿名組合契約書の草案作成に関し、田島計理士および大池弁護士の検討教示を受け、匿名組合という法律上の制度があり、財経の規約および契約書の内容に法律的矛盾なしと考えたことも認められる。しかし、本件において問題とせられるところのものは、被告人らが財経を大衆の利殖機関として開設経営するについて、前記第五および第七において認定したような財経内部の実情であるのにかかわらずこれを隠し前記第四において認定したような虚偽誇大の宣伝広告、勧誘方法を用い、大衆を欺罔して、匿名組合の出資名義の下に、現金、株券または投資信託証券を交付せしめた行為自体である。すなわちこの欺罔手段は、保全や白十字のそれを模倣したものでもなく、また計画、法律の専門家の教示によるものでもなく、全く被告人らの独創によるものである。従つて被告人らが保全や白十字を合法的利殖機関と信じたということや、匿名組合が合法的な制度で財経の規約および匿名組合契約の条項に矛盾なしと信じたというようなことは、本件詐欺事犯の犯意に無関係であつてあえて論ずる必要はないのである。

二、同弁護人の論旨二は、原判決は財経の支店等の職員を被告人らの手足的存在にすぎないとみているのは皮相的である。すなわち、支店等においてはそれぞれ責任者がおり、その業績をあげるため、被告人らの一般的宣伝、勧誘方針の指示を越えて、独自の裁量により出資者を募集したこともあると察せられるというのである。

しかし、前記第三、その二において認定したように、財経の本店営業部および各支店等は、いずれも独立会計をもたず、いわば本店と出資者間の取次機関とでもいうべき存在であるのみならず、前記第四その一において認定したように、本店営業部および各支店等における出資募集の宣伝広告、勧誘方法は、もつぱら本店の指示資料に基いて行われ、支店長その他職員らが本店の指示を逸脱して、独自の裁量によつて行うことは堅く禁止せられていたので、これをなさなかつたのである。

三、同弁護人の論旨三は、原判決によれば被告人橋本勇の発言力が財経の運営を左右し、他の理事の存在を薄くしていたと認めているが、これは恐らく他の被告人らの捜査過程における責任転嫁的供述に偏した見解であつて当を得ないというのである。

しかし、前記第三、その一および第七で認定したとおり、財経の運営委員会における被告人橋本勇の発言力はきわめて強く、やや独裁的傾向すらうかがわれるのであつて、このことは前記認定の財経開設の経緯、出資募集の宣伝広告の立案企画、保全旋風対策などにおける被告人橋本勇の役割自体に徴して明らかであつて、この観察こそ客観的に妥当するもので、決して他の被告人らの責任転嫁的供述を盲信した結果ではない。

四、同弁護人の論旨四は、原判決は、被告人らは当初善意であつて財経の本来一つの利殖事業として経営してきたが、その後予期しない出資金の激増をみるに及んで本来の事業運営方針から漸次独自の見解に基く会の運営方針が常軌を逸脱した方向へ移行し、ついに出資金を詐取するにいたつたものと認めているが、被告人らとしては当初の運営方針をことさらに変えて行つたわけでは決してなく、財経の組織陣容が整備されないうちに、予期しない出資応募が増加したため、その仕事に忙殺され、ますます手不足を来たしたが、被告人らとしては出資の増加に伴いこれに対応する事業投資等利殖方法の実行に奔走努力したが、何分にも手が回わらないのみならず、不慣れのせいもあつて、期待通り手つ取り早い成果もあがらず、経営の健全化に少なからず苦慮していたが、その間の過渡的操作をするには出資募集に重点をおかざるを得なかつたわけで、決して会の運営方針を変え、意識的に進んで悪意に移行したものではないというのである。

しかし、所論指摘の原判決の事実認定およびこれを前提とする所論はいずれも証拠を正当に評価せざるものである。前記第八において認定したとおり、被告人らの運営した財経は、開設当初から本件と同様の欺罔手段をもつて大衆から匿名組合出資名義の下に現金等の詐欺を行つたものであつて、本来正当な利殖事業が途中から常軌を逸脱して犯罪的傾向に走つたのではなく、この点に関する原審の事実認定は誤認であるが、これは本件公訴事実以前のことに関し情状に関するものにすぎないから判決に影響を及ぼさないものと解する。また前記第三、その一および第七において認定したとおり、財経本店には、その機構上投資事業に関する部課は終始存在しなかつたし、被告人らの間に財経の宣伝広告に添うような積極的な事業投資などの利殖方法が協議決定されたことは認められないのであつて、被告人橋本勇においては、集められるだけの出資金を集め(法律的にはこの出資金を集めたときが詐欺罪の既遂である。)、しかるのちなんらかの事業に投資すればよいと考えていたもののごとく、財経休業にいたるまで、なんら積極的な事業投資の意欲を示さず、わずかに被告人北原治三郎が前記第五において認定したような、損失のみありて実益なかりし事業に関与したにすぎなかつたのである。

五、同弁護人の論旨五は、原審は-かかる状況下に営業を継続するときは-配当金のみならず元本の支払をも停止せざるを得ないことの蓋然性を認識し得たにかかわらず、出資金の受入れに関し匿名組合に仮装せるを奇貨とし、出資者より金銭等を詐取せんとし、各被告人らは逐次共謀の上と判示しているが、被告人らがはたしてそのような認識をしていたか全く不明であるし、逐次共謀の上とはいかなる状態によるものか解し難く、またかりに未必的故意があつたとしても証拠上それがいつ生じたものか不明である。さらに被告人らが虚偽の宣伝を一般にしたからといつて、はたしてそれがすべての出資者に到達したかどうか疑問であるのみならず、そのことのみが出資者の誤信の原因となり出資するにいたつたものかはなはだ不明である。世間のうわさだけで出資者自ら進んで出資したものも絶無といえないし、また情を知らない職員をして虚偽の宣伝勧誘を行わしめたと判示されているが、すべての職員が単に手足のような役割を果したとは常識上考えられないし、職員を信頼して出資する者もあつたと聞いているというのである。

しかし、前記第七において認定したとおり、被告人らが財経運営の方法として、いわゆるタコ配当および自転車操業を継続し、利益をあげうべき事業を経営しない限り、早晩配当金のみならず、出資元金の支払をも停止せざるを得ない状態にたちいたることの蓋然性を相互に認識し合つていたことは明らかであり、かかる実情にありながら、出資を募集した点において詐欺の未必的故意ありと解した原審の解釈は一面の見方で誤りではないが、本件では前記第八において説示したように、虚偽誇大の宣伝広告、勧誘自体をこそ欺罔手段の最たるものと認めるべきでこの点において被告人らはいずれも詐欺の確定的犯意を有し、かつ相互に意思を連絡し、いわゆる共同謀議という共同正犯の主観的要件を備えていたものである。けだし大衆が匿名組合の本質を理解し、財経の行う宣伝広告がその実状に反する虚偽誇大なものであると知れば、たとえタコ配当および自転車操業の方法による配当金の支払、出資元金の返還を受け得られるとしても、おそらく何人も出資を決意するにはいたらないであろうことは社会通念上疑いないところである。そして前記第六において認定したように、各出資者はいずれも財経の行つた虚偽誇大の宣伝広告を真実なりと誤信し、かつ匿名組合の本質を知らなかつたからこそ出資したのであつて、かりに出資者のある者が世間のうわさを聞き、あるいは財経の職員を信頼して出資したとしても、けつきよくは財経の虚偽誇大の宣伝広告に基因するものであつて、これと右出資との間には因果関係が存することは当然であり、ただすでに錯誤に陥つている者の心理状態を利用して出資させたという関係になるに過ぎない。また財経本店営業部、各支店等の職員らが幹部たる被告人らと犯意を通じていたとみるべき証拠はないのであるから、原判示のように右職員らは情を知らない者というべく、被告人らがこれら職員を使つて出資を募集したのは、犯意のない者を利用して詐欺罪を実行したこととなりいわゆる間接正犯として刑事責任を負担すべきものである。

六、同弁護人の論旨六は、財経の右各職員らが、本件出資募集の担当者とすれば、その募集の内容を各別に特定明示すべきであるのに、原判示のように出資者すべて同一形態として判示したのは理由不備であるというのである。

しかし、原判示によれば、被告人らの各被害者に対する共通的欺罔手段が摘示され、各被害者に対する出資の宣伝勧誘、受入れを担当した各支店等の職員、被害者氏名、被害財物等が明示されているから、個別的判示としてなんら欠くるところはなく、従つて理由不備の点はない。

七、同弁護人の論旨七は、原審が証拠として採用した被害始末書は、同形一色であつて、きわめて信ぴよう性に乏しく、これを証拠に採用することは、たとえ被告人の同意があつても採証の法則に反するものであり、すべての出資者を各別に取調べなければならないのに、原審は審理の促進を期するのあまり、この点を省略したのは審理不尽であるというのである。

しかし、被害始末書が同一形態であるからとて、その記載内容の信ぴよう性が乏しいと解すべき経験法則はなく、被告人らにおいてこれを証拠とすることに同意し、供述者に対する反対尋問権を抛棄した場合、裁判所において相当と認める限り、右書面の形式的証拠能力を認めてこれを事実認定の証拠に採用することのできることは、刑事訴訟法第三二六条第一項により明らかなところであつて、さらにこれらの被害者を各別に取り調べなければならないという証拠法則はない。従つて原審の措置になんら採証の法則違反の点はない。

八、同弁護人の論旨八は、財経の行つた誇大な新聞広告あるいは営業案内などのパンフレットは、一見すれば利殖の経験の有無を問わず、少くとも一般普通人なれば、事があまりうますぎることに気付き、その内容に疑問をいだきいわゆる「マユツバモノ」として警戒したであろう、とすれば、恐らく出資者として右新聞広告や営業案内等の内容を全面的に信じたというのはごく少数の者であり、その大多数の者はこれを了知または察知しながら、その欲心から高配当にみせられ、短期の出資のことゆえ多少の危険はあつてもかまわぬ、なんとか自分だけはよかろうという心理で出資したものとみるのが相当である。被害者心理として、とかく財経の幹部たる被告人らが検挙せられ、そのため財経の運営がとんざし、出資金がもどらぬとなるや、にわかに被害感情をもやし、自己の落度をたなにあげ、もつぱらだまされた、だまされたと、異口同音にいう傾向にある。すでに出資金の返還を約定通り配当まで付してもらつている者も相当多数にのぼつているが、この人たちははたして右のような被害感情を口にするかどうか注目すべきことであるが、遺憾ながら原審はこの点においても審理を尽していないというのである。

しかし、この見解は証拠に基かないうらみがある。前記第六および第八において認定したとおり、財経の全国的な組織網、堂々たる企業形態、あらゆる宣伝報道機関を動員した宣伝広告方法、大衆の利殖欲をあふるに足る巧妙な虚偽誇大の宣伝勧誘の内容が各出資者を錯誤に陥らしめ、よつて出資をなすにいたらしめたものであり、さればこそ財経は開店後一年にいたらずして、最高七、八億円という巨額の出資金を獲得し得たのであつて、被告人らの犯罪手段を了知または察知し被害にかかることを承知であえて出資するがごとき者は経験則上あり得るはずがないといえる。もちろん出資者において、事前にいま少し慎重な注意を払つたならば、本件被害を避け得たかも知れないが、かかる不注意があつたからとて、被告人らの可罰的責任に消長を及ぼすものではない。(本件出資者のなかには、所論のように配当金の支払および出資元金の返還をうけ実質的被害を受けなかつたものもあるが、それは詐欺の被害者が被害弁償を受けた場合と同視すべきで、法律的にはやはり詐欺の被害者であることは前記第八において説示したとおりである。)

九、同弁護人の論旨九は、財経の匿名組合契約の約款に関する原審の解釈については多分に疑義がある。すなわち、匿名組合は本来商的債権契約であつて、それには当事者の合意により特約を付し得ることや、当事者はいつでも解約し得ることは当然である。営業者が自己の責任において出資者のため一定限度の利益(配当)を保障することを特約しても、契約自由の原則から認容されてよいはずであり、決して匿名組合の本質に反しないと解するし、三ケ月、六ケ月というような契約期間を協定することもまた可能であり、この期間はいわゆる解約予定期間とみるべきである。原審は商法所定の内容をそのまま具備しなければ匿名組合の本質に反すとの見解にたち、変形的匿名組合を否定しているが、これは法の解釈を誤つた場合にあたる。たとえば、1、原審は、事業投資を収益を得る場合のみと想定しているようであるが、投資が事業である以上損得の生ずることは当然考うべきであり、またすみやかに成果のあがる場合もあがらぬ場合もある。被告人らは財経の事業投資をもくろみ、これを実行しつつあつたのにかかわらず、原審は結果論的に財経の事業が実益をあげる段階にいたつていないのを目して、被告人らにおいて出資金を収益を得る事業へ投資をせずと断じているのは当を得ない。2、原審は、財経の匿名組合契約書には配当期に損失があれば精算することになつているが被告人らにこれを実施する意思はなかつたと認めているが、損失を精算する建前とこれを実施するかどうかということは異なる観念であり、その精算を実施するかどうかは営業者の任意選択してよいことである。被告人らが右精算をしなかつたからといつて、その意思までなかつたと認めるのは理に合わない。現実は急激に出資が増加し、経理に不慣れなうえ、手不足のため整理がつきかね事務上決算することがのびのびとなつているうちに検挙となつて事実上精算することができないハメに陥つただけである。3、原審の認めるように、被告人らは出資に関する損益の計算が技術的に困難であることを考えたればこそ、一定限度の配当だけを財経が保障し出資者の便益を図つたものであつて、かえつて実情に即するのである。要するに原審は匿名組合契約上の権利義務、財産の帰属事業の運営等を混同して判断したものであるというのである。

しかし、本件匿名組合契約約款の有効、無効論、あるいは解釈論のごときは、本件詐欺事犯の判断については、だ足の議論である。要するに前記説示のように、本件においては、財経が事実に反し、前記高率配当および出資元金の支払を確実に実施し得る程度の堅実安全な投資事業をしているごとく前記欺罔手段を用い、よつて大衆を欺罔し、同人らから匿名組合出資名義のもとに現金等を交付せしめた点が刑法詐欺罪の特別構成要件を充足するのであつて、犯罪成立論としてはそれをもつて必要にしてかつ十分であり、それ以上論議する必要はないのである。なお、前記第二、第三、その一、第四、その三、および第七において認定したところによれば所論のように被告人らが真剣に事業投資をもくろみ、その実現に努力したとか、あるいは配当金につき決算期に精算する意思をもつていて、ただ出資者のため便宜一定限度の配当を保障したにすぎないというようなことはとうてい肯認することはできない。

一〇、同弁護人の論旨一〇は、原審は検察官提出の全証拠を検討するも、被告人らの間に出資者より出資金を詐取しようとして特に共同謀議をなした事実は認められないといいながら、しかし被告人らにおいて共謀共同正犯として責任ありと認定した。そしてその根拠として、財経が取締法規の適用による制約を免れるため匿名組合契約を仮装した一事をもつて直ちに被告人らに刑事上の責任を負わすのでなく、出資金を募集するため虚偽の手段を用い出資者をしてこれを信ぜしめ因つて現金等を出資せしめ、遂に出資金を返還し能はざるにいたらしめた場合、被告人らが募集の当初にあたり、出資金の返還不能の生ずることあるを蓋然的に認識し得たところに被告人らの責任を生じると判示している。しかしながら、被告人らが出資募集の当初にあたり、出資金の返還不能を生ずることを蓋然的に認識し得たという意味は客観的であり、被告人らの主観がどうであつたか明らかでなく証拠によつて判定されていないというのである。

しかし、前記説示のように、本件は出資金を募集するため虚偽誇大の宣伝広告を行い、よつて出資者を欺罔し、匿名組合出資名義で現金等を出資せしめたことにより詐欺罪の特別構成要件を充足するのであつて、匿名組合契約が仮装のもので無効であるかどうかという点や、被告人らにおいて出資募集の当初にあたり出資金の返還不能の生ずることを蓋然的に認識していたかどうかという点を論ずるのは、情状論として意義があるが犯罪成立論としては無用である。(なお、前記第七において認定したように、事実は被告人らにおいて出資金返還不能の蓋然性を認識していたことは明らかなところである。)

一一、同弁護人の論旨一一は、原審は共同正犯の責任は直接謀議をなした場合だけでなく、被告人らのごとく相互の間に犯意の連絡ありとみられる場合においても存するものと解せられているが、ここに犯意とはいかなるものか、意思の連絡はいついかにしてなされたかは不明であるというのである。

しかし、ここに犯意とは、被告人らにおいてそれぞれ前記虚偽誇大の宣伝広告、勧誘による欺罔手段、出資者の錯誤、右錯誤に基く出資という各事実、およびそれら一連の因果関係を認識することであることは論をまたないところであり、被告人ら相互の間に犯意の連絡(相互認識)のあつたことは、前記第七において認定した事実により明らかである。そして共謀共同正犯の有罪を判示する場合、主観的要件である共謀の事実はいわる罪となるべき事実に属しないから、単に共謀の旨を判示し、客観的要件であるいわゆる罪となるべき事実、すなわち犯罪特別構成要件を充足する具体的実行行為を日時、場所、方法等をもつて明示して特定し得る程度に表示すれば足り、共謀自体の日時、場所等を明示する必要はないものと解する。従つて原審が、被告人らの共謀の点につきその日時場所等を明示しなかつたとしても、なんら理由不備の点はない。

一二、同弁護人の論旨一二は、原審は財経の運転資金の不円滑を打開するため、被告人橋本勇が全然根拠のない貸借対照表を作成し、これを宣伝広告、勧誘の資料としたため、出資がにわかに増加したとし、これを昭和二八年七月初旬公表したことをとらえ、同月一日よりの出資金を犯罪の対象としているェ、被告人橋本勇の考えが前記のようにあくまで運転資金の打開策であつたとみれば、たとえいわゆる自転車操業になつていたとしても、少くとも順次に出資金を返還する意思があり、これを実行するための方便としていたものであるから、被告人らの主観において出資金詐取の意思は認められない。また一つの事業である以上継続的多数の行為であつて、いわば水の流れにひとしいものを、その流れを強いて区切つて一線を引き、それ以前は犯罪たらず、それ以後は犯罪なりということは不可能なことである。いわんや本件のように貸借対照表の公表は七月初旬であつて、少くとも七月一日でないのに、同日からの出資を犯罪の対象として取りあげたことは不合理であるというのである。

しかし、所論、貸借対照表公表の経緯およびその内容は、前記第四その三の三において認定したとおりで、明らかに本件詐欺の欺罔行為の一つである。被告人橋本勇らが、いわゆる自転車操業により、順次出資金を返還する意思をもつていたとしても前記説示のように本件詐欺罪の犯意の存在を左右するものではない。論旨をいいかえれば、欺罔手段を用いて他人から現金等を詐取しても(すでに犯罪成立)、これをうまく運転して利益をあげ、しかるのち右現金等を返還すれば(弁償的性質)、詐欺の犯意はないという筋のとおらない理論となるのである。また右貸借対照表を記載した決算報告書の公表が七月一二日以降のことであることは、前記認定のとおりであり、原審が七月一日からの出資金を本件犯罪の対象としていることも所論のとおりである。しかし、本件詐欺罪の欺罔手段は、右貸借対照表の公表だけではなく、財経発足当初からなされた一連の虚偽誇大の宣伝広告であることは前記説示のとおりであるから、七月一日以降の出資分を本件詐欺罪の対象としてもなんら不合理性はないのである。本件起訴の対象を、財経開設当初からの出資分全部に及ぼすべきか、あるいは本件現実の起訴のように七月一日以降の出資分(いわゆる焦げつき分)に限定すべきであるかということは、いわゆる起訴便宜主義を採用する現行刑事訴訟法の下で、検察官が刑事政策的考慮ないし検察技術的考慮をもつて具体的妥当に決定しうべきところであつて、本件起訴の対象となつていない出資分について合法性を認めたものとみるべきではない。

一三、同弁護人の論旨一三は、原審は昭和二八年一〇月二二日(二四日の誤認)発生したいわゆる保全旋風の際、被告人らが解約者に出資金を返還した措置を目して、保全休業を逆に利用し出資金の増加を図る目的であつたと認定しているが、これはあくまで悪意の解釈である。被告人らとしては、保全旋風によつて動揺しつつあつた出資者を取りしずめ、大挙取り付けによる休業を防止し、出資者を守ることのみがねらいで、解約申入れがあれば出資金を返還する旨広告し、事実これらの人々にはすべて返金したのであつて、この期にいたつても詐取の意思がなかつたことを物語る明らかな証左であるというのである。

しかし、被告人らがいわゆる保全旋風に際してとつた処置ならびにその意図は、前記第四その二の四において認定したとおりであつて、いわば自分らの犯罪の発覚を防止し、さらに保全休業に乗じて新規出資を獲得せんとする本件詐欺罪の一手段であつて、所論のごとき善意の処置とみるべきではない。いわんや、出資者に対する出資金の返還が本件詐欺罪の犯意を否定する証左とならないことは前記説示により了解することができ、むしろ右返還は前記説示のごとく被害金の弁償的性質を有するものとみるのが妥当である。ゆえに各論旨はすべて理由がない。

その二、被告人渡辺録郎の弁護人柘植欧外、同高橋正蔵の論旨について。

一、同弁護人らの論旨一は、原判決は財経設立当初においては積極的に出資者を欺罔して出資金を詐取せんとする意思なく、途中から出資金を詐欺する未必的故意を抱くにいたつたと判示しているが、原判決の他の判示事実(および判断事項)と彼此照合するときは、右未必的故意に関する判示には数々の矛盾どうちやくを発見するばかりである。1、被告人らが出資金を詐取せんとしたとき、換言すれば未必的故意を抱くにいたつたときが必ずしも明らかでなく、さらに原判決挙示の証拠ならびに一件記録に徴するとき、少くとも被告人渡辺録郎に詐欺の未必的故意は認定することはできない。原判決が被告人らは設立当初においては積極的に出資者を欺罔して出資金を詐取する意思はなかつたが、中途からその意思が生じたと認定する以上、設立当初と詐取の意思が生じてからとの間に、財経の組織、運営、匿名組合の内容、出資金募集の方法、ひいて財経の性格について著しい変化が認められることを判示しなければならないのであるが、この点につき原判決は出資金募集の方法として、(イ)昭和二八年七月上旬ごろ虚偽の同年上半期の貸借対照表を一般に公表したこと、(ロ)同年一〇月二二日(二四日の誤認)発生したいわゆる保全旋風の際の被告人らのとつた処置をあげるほか、被告人らは財経を、設立当初から休業にいたるまで同一組織のもとに同一の方法で運営してきたことを判示している。ことに原判決が虚偽の宣伝方法の事例の第一としてあげているところの、「財経が他の利殖機関と異なり出資者に対し高率の配当を確実に支払うことのできるのは主として不動産へ投資し莫大なる利潤をあげている」旨の宣伝方法は、被告人らが設立当初より休業にいたるまで終始一貫使用してきた宣伝文言であつて、原判示のごとく被告人らの独自の見解に基く会の運営方針が常軌を逸脱した方向へ移行してついに出資金を詐取するにいたつたものでもなく、また被告人橋本勇の新資本主義説が他の被告人の凡庸常識的意見を押え、被告人橋本勇の独自の見解に基く出資募集のため手段を選ばざる虚偽の宣伝が被告人らの一致した行為となつて現われ、漸次ろうこたるものに移行したものでもない。被告人らは右のような宣伝方法によつて出資を募集し、応募者は右宣伝方法を信用して出資をしたことは明らかであるのに、同一手段方法によつて出資を募集している被告人らに対して、一方において詐取の意思なく、他方において詐取の意思ありとするのは矛盾であるというのである。

たしかに、原判示事実には所論のごとき矛盾がある。そしてこのことは佐藤弁護人の論旨四について説示したとおりである。すなわち前記第八において認定したごとく、被告人らの財経運営に関する出資募集行為は、開設当初から詐欺罪を構成するもので、その欺罔手段は、被告人らが設立当初から休業にいたるまで終始一貫して使用してきた前記の虚偽誇大の宣伝広告および昭和二八年七月一二日広告した財経の虚偽の貸借対照表を含む同年度上半期の決算報告書などであり、これにより大衆を欺罔し出資金を交付せしめたことが詐欺罪を構成するものであつて、被告人らがいわゆるタコ配当および自転車操業による方法で約定の配当金および出資元金の支払をする意思を有していたということや現実にその支払をした事実のごときは犯罪成否に関する要件でなく、情状に関するものにすぎない。けつして、財経開設当初合法的な被告人らの事業運営行為が、常軌を逸脱した方向へ移行したものでもなく、また被告人橋本勇の新資本主義説が他の被告人らの凡庸常識的意見を押えて犯罪性に発展したものでもない。この点において原判決の事実認定には誤認が認められるが、この誤認は本件公訴事実それ自体に関するものではなく、たんに情状としてみるべきであるから、判決に影響を及ぼさないものと解する。そして、被告人らが財経開設当初(途中参加者はその時以下同旨)から、本件詐欺罪の確定的犯意を有していたことは前記第八において認定したとおりである。

二、同弁護人らの論旨二は、原判決は被告人らが出資者との間に締結した出資契約は匿名組合を仮装したものであり、その仮装の根底をなすものは、匿名組合方式に従うときは通常の利殖機関に適用される種々の取締法規の適用を免れ、その制約から逃れんとするにあつたがこの一事をもつて直ちに被告人らに詐欺の意思がなかつたといい得ないといつているのは正当である。しかして、匿名組合契約を仮装し、通常の利殖機関に適用される種々の取締法規の適用を免れつつ出資金を募集して、これを不動産取引に投資し、利潤をあげてゆくということは財経の当初から休業にいたるまでの変らざる根本方針であつて、被告人らはつたないながらも、かくも努力してきたのであるから、結果において不動産投資に失敗し利潤をあげ得ず、ついに出資金を返還し得ないという事態にたちいたつたとしても、これをもつて直ちに被告人らに詐欺の意思があつたとはいい得ないというのである。

しかし、前記佐藤弁護人の論旨四および九において説示したとおり、本件詐欺罪の犯意ありとするには、前記虚偽誇大の宣伝広告、出資者の錯誤、右錯誤に基く出資およびそれら一連の因果関係を認識することであり、これをもつて必要にしてかつ十分というべきであつて、匿名組合契約が仮装にして無効であるか、それとも有効であるかというがごときは無用の議論であつて、出資者をして現金等の出資をなさしめるにあたり、匿名組合の出資名義を用いたことを認定判示すれば足りるのである。そして本件詐欺罪の既遂時期は出資者をして現金等を交付せしめたときであつて、出資元金の返還不能となつたときではない。従つて、被告人らがかりにその出資金を事業に投資しその利潤をもつて配当金や出資元金を支払う意思を有していたとしても本件詐欺罪の成立を左右するものではない。

三、同弁護人らの論旨三は、原判決は、財経は被告人らと牛田善規の五名をもつて構成員とする組合組織の理事会において運営され従つて契約上から取得した出資金は右五名の者の所有となるが、その出資契約が匿名組合を仮装した無効のものであれば、当然右五名が契約上の連帯責任を負担する。その責任は会の事業を運営する上において生じた一切の行為に及ぶべきであるとし、民法上の存在を認めている。しかしながら、組合である以上共同の目的があるわけであるが、原判決は被告人らの共同目的をいかに解しているか必ずしも明らかでない。原判決は右組合は匿名組合契約を仮装して出資金を募集し、不動産投資によつて利潤をあげて行くという目的から、出資金を詐取するという目的に中途からその目的を変更したと考えている。とすれば一応筋は通るのであるが、原判決は詐取の点について謀議はなかつたと認定しているから、組合自体の目的が変更したとは考えていないようである。しかも原判決は被告人らは右意図(目的)を捨てて出資金を詐取するにいたつたと判示している。しかりとすれば、右組合は目的を失うこととなりその存在を否定せざるを得ないこととなる。このように一方において被告人らを構成員とする組合を認定しつつ、他方において詐欺の点につき共同謀議を否定する原判決は矛盾しているというにある。

なるほど、原判決は被告人らおよび牛田善規の五名をもつて構成する前記運営委員会(理事会)を民法上の組合と解釈していることは所論のとおりである。しかし、前記第八において認定したとおり、財経は開設当初からの詐欺団体であり、被告人らの共同謀議にかかるものである以上、共同正犯者相互の法律関係を民法上の組合と解するのは当を得ない。原審は所論のように、財経開設当初の被告人らの行為を合法的であると誤認し、出資金の所有権の帰属等を論ずるため所論運営委員会を民法上の組合と論じたものであるが、これとても、本件犯罪の成否には関係のないことであるから無用の議論であるというべく、けつきよく事実誤認に帰着するが、これまた本件公訴事実自体に関しないから判決に影響を及ぼさないものと解する。しかし、原判決が原判示事実について、被告人らの共同謀議を否定しているとの所論は正確を欠くものである。原判決をみれば、被告人らの間に出資者より出資金を詐取しようとしてとくに共同謀議をした事実は認められないが、被告人らの相互の間に犯意の連絡ありとみられるから共同正犯としての責任があるというのであつて用語に矛盾があり、前記第八における認定に比較すれば、やや共謀共同正犯の認定に不明確な点はあるが、けつきよく被告人らに対して共同正犯の責任を認めているのであるから、右認定を事実誤認であるとしても判決に影響を及ぼさないものと解すべきである。

四、同弁護人らの論旨四は、原判決は虚偽の宣伝方法の事例として、前記宣伝文言のほか、昭和二八年度上半期における財経の虚偽の貸借対照表の広告および保全旋風の際の被告人らの解約処置をあげているから、あるいは原判決はこの二つを被告人らの心境の変化(民法上の組合から出資金詐取への変化)の時点として重視しているのかも知れない。しかりとすれば、ここにまた新たな矛盾どうちやくを発見するのである。すなわち、右貸借対照表は判示にもいうごとく、昭和二八年七月初旬ごろ(実は七月一二日)一般に公表されたものであるから、少くとも昭和二八年七月一日の出資者に対して詐欺罪の成立を認定することは矛盾である。さらに保全旋風にいたつても、判示もいうごとく、保全休業は同年一〇月二二日(二四日の誤認)であるから、少くとも同年七月一日より同年一〇月二一日までの出資金について詐欺罪を認定したことは矛盾であるというのである。

しかし、前記のように被告人らは財経開設当時から休業まで終始一貫して虚偽誇大の宣伝広告をなし、その途中において前記第四の三において認定したような虚偽の貸借対照表を広告し、また前記第四の四において認定したとおり、被告人らは自分らの犯罪の発覚を防止し、かつ、さらに新規出資者を獲得せんがため解約による出資元金返還の処置をとつたもので、以上各欺罔手段は相競合しているのである。従つて右貸借対照表の公表以前たる七月一日からの出資者を本件詐欺罪の対象と認定してもなんら矛盾はないのである。

五、同弁護人らの論旨五は、財経は昭和二七年一二月ごろから昭和二九年一月一九日まで営業をしていたものであるが、本件起訴の対象は、昭和二八年七月一日以降の出資金返還不能となつた分のみで、原判決もその起訴事実全部を認めているところから判断すると、原審は少くとも被告人らが昭和二八年七月一日には詐欺の意思をもつていたと認定しているというべきであるが、一体その時期は同日からか、あるいは同年六月からか必ずしも明らかでない。設立当初から休業にいたるまで、同一組織のもとに同一手段で出資金を募集してきた被告人らの行為につき、最初は詐取の意思がなかつたが、後にその意思を生ずるにいたつたと判示する本件のような事案においては、通常の事案と異なり、いつから詐取の意思を生ずるにいたつたか、その時期を明らかにしなければ理由不備であるというのである。

しかし、原判示をみるに、被告人らは少くとも昭和二八年七月一日には詐欺の犯意をもつていたことを示しているので、罪となるべき事実の判示方法として欠けるところなく、なんら理由不備の点はない。そして、被告人らの詐欺の犯意は、財経開設当初からであるのに原審が財経発足後において生じたものと認めたのは事実誤認であるが、この誤認は本件公訴事実自体に関しないので、判決には影響を及ぼさないことは前記佐藤弁護人の論旨四に対する説示のとおりである。

六、同弁護人らの論旨六は、被告人渡辺録郎は、財経の総務部長の地位にあり、財経の運営上被告人橋本勇のよき協力者であつたことは原判示のとおりであるが、右協力に当り被告人渡辺録郎は、終始一貫して匿名組合契約を仮装して出資金を募集し、これを不動産等に投資して利潤をあげ、しかるのち配当しようと考えていたもので、募集にあたり出資者を欺罔して出資金を詐取しようとか、ある時期にいたれば出資金返還不能の事態が生じるかも知れないというようなことは全然認識していなかつたのである。このことは財経開設当初においても、その後においても変るところなく、もしこのような認識があつたとすれば、それは開設当初から認定すべく、中途からかかる認識が生じたとの認定には承服し得ない。なんとなれば、1、被告人渡辺録郎は対外的には証券投資の大部分および不動産投資の一部を担当したほか、被告人橋本勇の命により支店出張所の開設事務に出張した程度で、主として総務部長として庶務課、用度課を統括して、各種用度品の調達、文書の発受等、庶務用度関係の事務を担当していたにすぎない。2、財経運営委員会は、昭和二八年二月ごろ被告人北原治三郎の発案により、財経の最高幹部が財経運営の重要事項につき協議する合議体として発足し、月三回程度会合をもつ計画であつたが、実際は月一回程度開かれる幹部の慰労会のようなものであつた。そして右委員会においては、資金受入れの方法や、特に財経の宣伝広告などについて議論されたことなく、また経理の報告などは一度もなかつた。これらは被告人橋本勇の独断専行であり、経理のごときは被告人渡辺録郎は財経休業直前被告人小木曽比奈次から知らされ驚いた次第である。3、元来財経開設を計画したのは、被告人橋本勇で、被告人渡辺録郎は金融方面の知識は皆無で、被告人橋本勇と共に上京して保全や白十字の建物の外観をみるにいたつてその盛大なるに驚き、同被告人に協力するにいたつたのであつて、その動機は単純である。被告人らはかくして募集した出資金を不動産に投資し、これによつてあげうる収益により約定の配当が可能であると考えていたが、ただ結果において見るべき利益をあげ得なかつた。原判決が非難する元千種造兵廠跡の払下げ問題についても、後日になつて批判するときは数々の矛盾を指摘し得るかも知れないが、その火中にあつた被告人北原治三郎あるいは被告人橋本勇としては、まじめに精一杯の努力をしたのである。5、原判決が判断する被告人橋本勇の提唱する新資本主義は、文字通り夢の域を脱し得ない程度のものであつたが、同被告人とて不動産に投資して約定の配当をなすべき利益をあげることの本来の計画を捨て去つたものではない。このことは被告人北原治三郎の持参する事業計画に対し、常に一応反対の意思を表明しながら、けつきよくはこれに協力していたことでも分かる。6、被告人渡辺録郎は、少くとも募集した資金を不動産に投資し、これによつてあげうる収益によつて約定の配当が可能であると信じて被告人橋本勇に協力してきたのであり、また事実財経倒産直前まで財経の事業計画は着々進められているものと信じていたのである。7、原判決認定の出資募集の宣伝広告の企画は、被告人橋本勇が自ら、または職員中西亨三らに命じてなさしめたもので、被告人渡辺録郎は総務部長として庶務課を統括していた関係上、それらの宣伝広告などの文書発送については知つていたが、これらの文書の内容については知らなかつた。8、昭和二八年度上半期の貸借対照表についても、被告人橋本勇が被告人小木曽比奈次に手伝わせ穏密裏に作成し、被告人渡辺録郎はただこれを支店会計課長多和田守夫が斉藤計理士の事務所へ届ける際、財経幹部として儀礼的あいさつのため情を知らず同行したにすぎない。9、保全休業にあたり財経はいつでも解約に応ずる旨宣伝し、各支店等に対し調達し得る限りの資金を送付したのは被告人橋本勇の独断専行によるもので、被告人渡辺録郎の関如しないところであるというのである。

しかし、所論もいうごとく、被告人渡辺録郎は、被告人橋本勇と共に財経を開設したこと、財経総務部長として財経幹部の地位にあり財経運営委員会の一員であつたこと、総務部長として庶務課、用度課を統括しなお証券投資や支店等の開設に関与したことなど自体からみても、被告人渡辺録郎が本件詐欺行為について犯意がなかつたという弁解は、特に首肯し得るに足る事由のない限り、社会通念上、経験法則上これを認め得ないのみならず、前記第二、第三、第七、第八において認定したところを総合すれば、被告人渡辺録郎は、本件詐欺事犯につき共同謀議者として共同正犯の責任を負担すべきことは明らかである。

七、同弁護人らの論旨七は、原判決は被告人らの本件行為について共同謀議をしたという事実は認められないが、被告人らのごとく相互の間に犯意の連絡ありとみられる場合についても共同正犯の責任はあると判示しているが、右見解にはにわかに賛成し難いと、多くの判例学説を引用した上、けつきよく犯罪の実行行為を分担しなくても、共謀共同正犯としての責任を問いうるものは、右実行につき、あらかじめ陰謀通謀あるいは謀議に参加した者、および意思の連絡のあつた者のうち実行行為者の背後に隠れてさいはいを振つた中心的人物のみに限るべく、意思の連絡があつたすべての者にまで拡張し得ないものと解すべきである。そして原判決は、財経の中心的人物は被告人橋本勇であつて、被告人渡辺録郎は被告人橋本勇の消極的協力者にすぎず、本件犯行については実行行為に積極的に出たことはなく、共同謀議に参加したことなく、わずかに意思の連絡があつたにすぎない傍系的存在であつたと認定しているのであるから、被告人渡辺録郎に対しては共謀共同正犯の理論を無批判的に拡張して共同正犯としての責任を問うことは違法であるというのである。

よつて共同正犯に関する判例を概観するに、旧大審院はその判例において、いわゆる共謀共同正犯の理論をたて、犯罪の実行を謀議したものは、たとえ犯罪の実行行為そのものに加わらなくとも、他の共犯者の実行行為につき全責任を負担すべきであるとして、最初は知能的犯罪に限りこの理論の適用を肯認していたが、その後この理論の適用を強力犯のごとき非知能的犯罪に及ぼしこれが最高裁判所の判例においても踏襲されるにいたつた(最高裁判所判例集第一巻一頁、第二巻三号二一一頁)ことは、所論のとおりである。しかし共謀共同正犯の主観的要件たる共謀の概念に関する判例の態度は所論の陰謀、通謀あるいは謀議ということばの暗示するような数人が相集合して額をつき合せて相談するような場合に限定せず、数人相互の間に犯行について意思の連絡(共同犯行の相互認識)がありあたかも共同意思の下に一体となつて行動する場合をも含むものと解しているとみるのが相当である。(最高裁判所判例集三巻二号一一三頁一二巻八号一七一九頁)そして右数人間に右のような意味の共謀の事実があれば、実際に犯罪実行行為に加わらない者も、他の実行行為者の行為について共同正犯者として全責任を負うべきである。(実行行為者の背後にかくれてさいはいを振つた者にのみに、共同正犯の責任を認むべしとの所論は根拠がない。)してみれば、被告人渡辺録郎に本件詐欺罪の犯意があり、他の被告人らと相互に犯意の連絡を有しあたかも共同意思の下に一体となつて行動したのであるから、本件詐欺事犯の共同正犯として全責任を負担すべきは当然である。

八、同弁護人らの論旨八は、原判示によれば、判示欺罔手段、その欺罔に基く出資者の錯誤、出資者の錯誤に基く金員等の交付についての因果関係が明らかでなく、原判決には審理不尽の違法があるというのである。

しかし、原判決の判示自体において、被告人らの欺罔手段、出資者の錯誤、これに基く出資者の出資状況が明示せられており、それ自体因果関係の存在を認めることができるのみならず、前記第四および第六において認定したとおり、証拠上においても右因果関係は明らかである。もちろん出資者の出資の経緯については千差万別の事情はあるであろうし、かりに所論のように出資者のある者が保全や白十字から肩替りをし、これらの者がある程度投機的精神をもつて出資したとしても、けつきよく被告人らがした虚偽誇大の宣伝広告を直接または間接に知り、これを真実と誤信して出資をなすにいたつたのであり、かく出資をなすにいたらしめたことは、同人らのすでに陥つている錯誤を利用したものともいい得べく、やはり前記因果関係の存在を認めなければならない。ゆえに各論旨は理由がない。

その三、被告人北原治三郎の弁護人田中一郎の論旨について

一、同弁護人の論旨一は、原判決は被告人北原治三郎に対し、本件詐欺事件について共同正犯の責任を問うているが、同被告人は財経創設の企画には全然参画しておらず、財経創設の当初から休業にいたるまで判示詐欺事犯につき他の被告人三名との間に全然意思連絡ないし意思共通はないのであるから、共犯関係は否定せらるべきである。しかも原判決は逐次共謀しと判示し、共謀の時期につき不明の欠点があり、理由不備であるというのである。

しかし被告人北原治三郎は、前記第二、その二において認定したように、昭和二七年一二月上旬ごろ、北海道に出張中、被告人橋本勇から財経の理事長就任を懇請され、書面でこれを承諾し、昭和二八年一月二日ごろはじめて財経本店に出勤し、以来理事長として財経に関与するにいたつたもので、財経理事長としてただ一人の対外的責任者の立場にあり、前記第五において認定したような事業に関与したのみならず、前記第七第八において認定した各事実によれば、同被告人は、理事長就任後、前記財経の出資募集の虚偽誇大の宣伝広告、虚偽の貸借対照表公表のことはもちろん、財経内部の事情、出資状況、その他一切の事情を知り、他の被告人らと犯意を連絡していたことが明らかであるから、本件につき共同正犯の責任を負担すべきは当然である。原判示が共謀の時期を示さなくても、共同正犯の判示方法として欠くるところのないことは前述のとおりである。もつとも、財経における実力第一人者が被告人橋本勇であることは事実であるが、同被告人の立案企画したことについて被告人北原治三郎においてこれを承認していたことは前記第七において認定したとおりであるから、同被告人が財経の運営についてなにも知らないロボット的、アクセサリー的存在であつたものとは認め得られない。ゆえに論旨は理由がない。

その四、被告人橋本勇、同小木曽比奈次の弁護人青木紹実の論旨について。

一、同弁護人の論旨一は、原判決が被告人に対し本件詐欺犯行を認定したのは事実誤認である。すなわち、原判決は匿名組合の解釈について重大なる事実誤認をしている。原判決は1配当金の支払は確実になしうるものとして出資せしめているが収益をうる事業に投資していないから匿名組合契約は無効であると論じ、2匿名組合契約書によれば、決算期に損失があれば精算することになつているがこれは被告人らにおいて実施の意思はなかつたから空文であると論じ、3多数出資者に損益の計算を明確にし配当を実施することは事実上不可能であるといい、4高度の宣伝を利用し出資者の利欲心を利用し出資者に対して匿名組合方式の契約を適用する意思が被告人らになかつたといい、5匿名組合なれば、被告人北原治三郎が当事者で契約上一切の権利義務を有すべきであるが、被告人ら全部に責任があるから匿名組合契約は無効であるとの理由により匿名組合を仮装であると論じているが、いずれも原審の独断的見解で事実誤認であるというのである。

しかし、たびたび説示したように、本件が詐欺罪を構成するゆえんのものは、財経が約定に基く高率配当および出資元金の支払を履行するだけの堅実な事業を経営せず、かつ多額の資産を有しないのにこの情を隠し、前記第四において認定したような、虚偽誇大の宣伝広告をし出資者を欺罔し、匿名組合出資名義のもとに現金等を交付させた行為そのものであり、匿名組合契約の解釈論やその約款履行の意思の有無のごときは犯罪の成否に関係のない傍論である。しかも、被告人らが右配当金および出資元金の支払をなすに足るだけの利益ある事業を経営しなかつたことは、前記第五および第七において認定したとおりであり、また被告人らが匿名組合の本質を出資者に知らしめないようにし配当金を後日精算する意思はなかつたのであつてこのことは前記第二、その一および第四において認定したところで明らかである。

二、同弁護人の論旨二は、原判決には犯意の点についても事実誤認がある。1、未必的故意と共謀共同正犯とは両立するか、2、宣伝広告を新聞紙上等に発表しただけで犯罪の着手といえるか、3、出資者が支店出張所の店頭に現金を交付するのみで既遂といえるか割切れない争点があるというのである。

しかし、原判決は、被告人等の配当金および出資元金支払停止の蓋然性の認識について未必的犯意の表現をとつているが、本件詐欺罪の犯意につき前記虚偽誇大の宣伝広告勧誘の認識という点に重点をおけば、前記第八において認定したごとく、被告人らは確定的犯意を有したものであり、かつ被告人ら相互の間に右犯意の連絡があつたことが明らかであるから被告人橋本勇、同小木曽比奈次に本件共同正犯の責任があることは当然である。原判決が被告人らの犯意を未必的犯意と認めた点に事実誤認があるとしても、その誤認は判決に影認を及ぼさないものと解することは、前述のとおりである。(なお、前記宣伝広告を新開紙などに発表し、大衆の閲読了知し得べき状態においた以上、犯罪の着手ありといえるし、出資者が支店等の店頭において職員に現金等を出資交付したとき犯罪の既遂となることは当然である。)。ゆえに論旨は理由がない。

その五、被告人渡辺録郎の論旨について。

一、同被告人の論旨一は、原判決は、被告人らはそれぞれ事業の失敗あるいは不振のため事業資金の調達に腐心していたところ、たまたまそのころ週刊朝日誌上に掲載の保全や白十字の記事をみて財経を開設したと認めているが事実誤認である。自分は財経開設後約一カ月経過したころ田島計理士から右週刊朝日を始めて見せられたのが事実である。また原判決は、財経開設当時の被告人らの資産状態や事業について各被告人ごとに明記せず、これを同一視して単に各被告人は苦慮していたと判示したのは暴論である。さらに原判決は、安藤美喜雄は被告人橋本勇、同渡辺録郎と意見が合わず会の設立直前脱退したと認めたが、これも事実誤認である。安藤美喜雄は被告人橋本勇から依頼せられて商品を売却したがその代金を着服したので同被告人と仲が悪くなり、自ら脱退したのであつて自分と意見が合わなかつたためではないというのである。

しかし、被告人らの略歴、相互の関係、財経開設の経緯と被告人らの関係は、前記第二において認定したとおりであり、けつきよくそのころ、事業の失敗または不振のため困つていた被告人らが、事業資金の調達をするのに保全や白十字を模倣して財経を開設したのであつて、原判決の事実認定に誤認の点はない。(所論の週刊朝日を見た日時が違うとか、安藤美喜雄が脱退した事情が違うということは、かりに論旨のとおりで原審の事実誤認であつたとしても、その誤認は判決に影響を及ぼすものではない。)

二、同被告人の論旨二は、原判決は財経設立当初、被告人らに詐欺の意思はなかつたといいながら、結論において詐欺であると論じているが、被告人らがいつその犯意をもつにいたつたか、その時期について一言もせず、犯罪事実と連結しているのは事実誤認である。かりにその時期が原判示貸借対照表を載せた上半期決算報告書を発表した昭和二八年七月一二日からとすれば、同年七月一日から一一日までの行為は何罪なるやわからないというのである。

しかし、被告人らの前記虚偽誇大な宣伝広告、勧誘による出資募集行為は、前記第八において認定したように、財経開設当初から詐欺罪を構成するものである。従つて七月一日以降の出資募集行為も詐欺罪であることは当然である。そして同被告人が開設当初からその犯意を有していたことは、前記第二、第四および第七において認定した事実によつて明らかであり、判示方法として被告人らが犯罪行為当時において犯意を有していたことは判文自体からわかる程度に記載されれば足り、犯意を生じた日時まで記載する必要はない。

三、同被告人の論旨三は、自分は財経の総務部長として文書整理、用度調達の事務に従事したもので、財経の宣伝広告、経理一切に関与しない。右宣伝広告は被告人橋本勇の企画によつてなされ、経理は同被告人および被告人小木曽比奈次の間で処理された。しかるに原判決は、財経の理事会を民法上の組合と解し、募集した出資金を被告人らの共同管理と認めたのは事実誤認である。自分は財経が保全旋風で経営困難となつた昭和二八年一二月三〇日ごろ被告人小木曽比奈次からはじめて経理の実情を聞かされて驚いたのである。自分は被告人橋本勇の秘書にすぎず、本件詐欺行為の責任はないというのである。

しかし、被告人渡辺録郎が財経開設以来その幹部として財経の運営に関与し、本件詐欺事犯について他の被告人らと犯意を連絡していたものであることは前記第二、第三、第七および第八において認定した事実によつて明らかであるから、共同正犯の責任は免れない。(原審が財経開設当初の行為を合法的とし財経運営委員会を民法上の組合とし、募集した出資金を被告人らの共同管理と認めたのは事実誤認であることは前記のとおりであるが、この誤認は本件公訴事実以前のことにかかるので判決に影響を及ぼさないものと解する。)

四、同被告人の論旨四は、原判決は財経の宣伝広告を詐欺の手段として引用しているが、かかる程度の誇大広告は社会通念上許さるべきであるというのである。

しかし、前記第四において認定したような出資募集の宣伝広告は、社会通念上看過し得べき誇大広告ではなく、虚偽の事実を主体とせる欺罔手段で違法性を帯びることは当然である。ゆえに各論旨は理由がない。

以上説示のとおりであるから、原審が本件公訴事実について原判示被告人らの共同謀議による詐欺事犯を認定し、有罪の判決を宣告したのは相当であつて、所論のように判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の点はなく、その他理由不備、理由くいちがい、審理不尽、法令解釈適用の違反、採証手続違反の点は、いずれも存在しない。ゆえに各論旨はいずれも理由がない。

被告人北原治三郎の弁護人田中一郎の控訴趣意第二点、被告人橋本勇、同小木曽比奈次の弁護人青木紹実控訴趣意第三点、被告人橋本勇の弁護人佐藤正治の控訴趣意第二点、被告人渡辺録郎の弁護人柘植欧外、同高橋正蔵の控訴趣意第二点(各量刑不当の論旨)について。

各所論にかんがみ、本件訴訟記録ならびに原審および当審で取り調べた証拠に現われた。本件犯罪の動機、手口、態様、罪質、被害程度、社会的影響、各被告人の役割、被告人の経歴、性行、家庭状況、その他諸般の事情を総合考察すれば、各所論を十分に参酌しても、被告人らに対する原審の量刑は決して重きにすぎるものとは認められない。ゆえに各論旨はいずれも理由がない。

検察官の控訴趣意第一点(罪数に関する法律解釈の誤の論旨)について。

論旨は、原判決は公訴事実のとおり、被告人らが共謀の上、昭和二八年七月一日ごろから昭和二九年一月一九日ごろまでの間、合計三千七百五十一回に亘り、虚偽誇大の広告宣伝および勧誘によつて安藤功男ら千三百四十八名を欺罔し財経の本店営業部を始めとする支店等の店舗二百十五ケ所およびその他の場所で、出資金名下に現金合計一億八千三百四十三万七千二百三十円、株券五千六百五十四枚(見積価格合計三千百七万八千二百円)および投資信託証券三百一枚(見積価格合計八百三十八万二千四百六十円)を騙取した事実を認定しながら、これを単一意思に基いた一行為であるから、包括的一罪として処断すべきものとしているが、右は罪数に関する法律解釈を誤つた違法があるというのである。

案ずるに、犯罪の個数に関するいわゆる罪数論は、刑法上、併合罪の関係において、また刑事訴訟法上、判決の既判力、公訴不可分等の関係において、実益があり、重要な問題である。本件詐欺事犯は、いわゆる連続犯の規定(昭和二二年法律一二四号によつて削除された刑法五五条)があつた当時においては、当然「連続した数個の行為にして同一の罪名に触れる場合」として実質上数罪であるのにかかわらず、科刑上一罪として処断されるべき案件であるが、右連続犯の規定が削除されてなくなつた現在において、当然実質上の数罪として刑法併合罪の規定によつて処断すべきであるか、それともいわゆる包括的一罪という概念を適用して、けつきよく一罪として処断すべきであるか、理論的解釈はきわめて困難なところである。連続犯の規定のあつた当時においても、包括一罪の概念はあつたが、それは、(一)犯罪の特別構成要件の内容たる行為が異種の行為を結合している場合(例、強盗強姦罪、刑法二四一条)、(二)犯罪の特別構成要件たる行為がその性質上反復を予想せられる場合(例、常習賭博罪、刑法一八六条、わいせつ文書販売罪、刑法一七五条)、(三)犯罪の特別構成要件たる行為が同一法益侵害の諸種の態様を定めている場合(例、収賄罪の収受、要求、約束、刑法一九七条)等においてそれらの行為を一罪として取り扱う概念であつて、明らかに連続犯として科刑上一罪とせられるものと区別された概念であつた。そして右包括一罪の概念は、連続犯の規定の削除されたのちにおいても、当然に変ることのあるべきはずはなく、これを拡張すべき理論的根拠は見出されないのであるが、裁判の実務においては、右概念に含まれない連続犯的犯罪を包括一罪の名のもとに一罪として処断する傾向が生じていることは否定できない。おそらくそれは、現行刑事訴訟法の下において、犯罪個数の多い事件に関する捜査、公訴事実の訴因化、自白に関する補強証拠などすべての面について幾多の制約があるため、この種事犯を簡略処理するためその必要に迫られて生じた現象のようである。それゆえに、それら判例の右包括一罪の理由づけにあたつては、講学上いわゆる、意思標準説、行為標準説、結果標準説、あるいは犯罪特別構成要件標準説等のそれぞれに基いてまちまちであり、統一的な理論的根拠は発見し得ないのである。連続犯の規定のなくなつた現在において、連続犯的犯罪を常に必ず併合罪として処断すべきであるというのではなく、かかる犯罪を単に事務処理上の便宜のため包括一罪の概念を不当に拡張し、あたかも連続犯の規定の再現と同じように一罪として処断することは、他の犯罪との処断上の不均衡を伴い、社会通念ないし国民の法的感情からみても不合理といわざるを得ない結果が生ずることをおそれるのである。しからば、連続犯的数個の犯罪を包括一罪として処断すべき要件をどう考うべきか甚だ困難を感ずるのであるが前記学説または判例等を総合考察すると、その最少限度の要件として、(一)犯意が同一であるかまたは継続すること、(二)行為が同一犯罪の特別構成要件を一回ごと充足すること、(三)被害法益が同一性または単一性を有することの三つが必要であると解する。はたしてこの見解にして妥当であるとすれば、本件詐欺事犯は、犯意の継続性、行為の前記構成要件充足性は認められるが、全犯罪事実について被害法益の同一性または単一性を認めることはできないから(財産的被害法益でその数は多数であるが、同一被害者に対する数個の行為に限り被害法益の同一性ありとしてこれを包括一罪と認むべきである。)本件を包括一罪として処断することは許されないものといわなければならない。してみれば、原審がこれと見解を異にし、本件詐欺事犯を包括一罪として処断したのは法令の解釈適用を誤つた違法があり、この違法は各被告人に対する処断刑の範囲に変更を生じるので、判決に影響を及ぼすことが明らかである。ゆえに論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて被告人ら四名の各控訴(被告人北原治三郎の原審弁護人田中一郎の控訴を含む)はいずれもその理由がないので、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、検察官の本件控訴は右の点において理由があるので、刑事訴訟法三九七条、三八〇条により原判決を破棄し、検察官の量刑不当の論旨については、後記自判において判断を示すこととし、同法四〇〇条但書により、当裁判所においてさらに判決する。

(事実)

第一、被告人らの略歴と相互の関係。

被告人北原治三郎は、岐阜県立本巣中学校(旧制)三年を中途退学後、個人経営または株式会社北原商会代表者として皮革製品の製造販売業に従事してきたが、昭和二四年末ごろ輸出製品の値下りのため多額の借材を負担し、昭和二五年から昭和二七年春ごろにかけて、東京都に同商会支店を設けブローカーのような仕事をしていたが成功せず、失意の状態にあつたもの、被告人橋本勇は、東京都所在の紅陵大学専問部経営科を卒業し、岐阜市内で月賦建築業をしたが失敗し、昭和二五年六月ごろから繊維製品の卸商あるいはブローカーをしていたが、窃盗罪で二回裁判を受け(いずれも刑執行猶予)さらに昭和二五年一二月ごろ詐欺罪で岐阜地方裁判所に起訴せられ本件とは別に公判繋属中であつたもの、被告人小木曽比奈次は、岐阜県立農林学校(旧制)を卒業後、同県内務部山林課に勤務していたが、在職中強姦致傷罪により裁判を受けて服役し、出所後木材販売業や建築請負業に従事していたが多額の債権を焦げつかせ、昭和二七年四月ごろ岐阜市で金融業を営む日東セールス株式会社の代表者となつたが、同年一〇月ごろ相互銀行法違反のかどにより当局の取締がはじまることを聞知しさつそく営業を停止するという有様で、手を出す事業にはことごとく失敗したもの、被告人渡辺録郎は、津島中学校(旧制)を卒業し、昭和二二年六月ごろから名古屋市内で個人経営または株式会社柴音堂の代表者として電気器具の販売業に従事したが、多額の借材を負担して失敗し、同年一〇月ごろ同市禰宜町所在の産業会館に事務所を設け桜産業の商号で清涼飲料水の製造販売業をはじめたが、経営は思わしくなかつたものである。そして、被告人北原治三郎と同橋本勇とは、昭和二六年暮ごろ被告人北原治三郎の義弟花井静男の紹介で知合い、その後被告人北原治三郎は、同橋本勇のあつせんで北海道方面に皮革製品を売り込もうとしたが、同被告人の債権者に右商品を差押えられたりして約五十万円の損害を被り、被告人渡辺録郎と同橋本勇とは、昭和二七年九月ごろ名古屋市中川区長良町安藤美喜雄方で被告人渡辺録郎の友人牛田善規から紹介されて知合い、被告人小木曽比奈次は、被告人橋本勇の妻和子の叔父で同人らの結婚を世話し昭和二四年ごろから同人らと親交があり、被告人北原治三郎と同小木曽比奈次とは、昭和二七年七、八月ごろ被告人橋本勇の紹介で知合い、被告人北原治三郎と同渡辺録郎、および同被告人と被告人小木曽比奈次とは、それぞれ本件財務経済会においてはじめて知合つたものである。

第二、財務経済会(以下財経と略す。)開設の経緯および財経と被告人らの関係。

昭和二七年一〇月ごろ、当時それぞれ事業に失敗して困つていた被告人橋本勇、同渡辺録郎の両名は、前記牛田善規、安藤美喜雄の両名とともに事業資金のねん出を相談の結果、被告人橋本勇の提案により、そのころ、いわゆるまち(街)の利殖機関として盛大に営業をしていた保全経済会(以下保全と略す。)や白十字経済会(以下白十字と略す。)が、匿名組合(商法五三五条以下)の方式で一般大衆から多額の金員を出資金名義の下に受け入れているのに着目し、これを模倣して匿名組合の方式で一般大衆から同様名義の下に金員等を入手しようと一決した。そして同年一一月中旬ごろから同月下旬ごろにかけて、被告人橋本勇、同渡辺録郎の両名は、東京都内所在の保全本店および白十字本店、または名古屋市内所在の保全名古屋支店および白十字名古屋支店に客を装つて赴き、それぞれの職員から事業内容の説明を受け、営業案内その他宣伝用パンフレットなどをもらいうけ、職員の客に対する応待振りを見学し、さらに各同会の規約および出資契約書などを写しとるなどして資料を整え、これらを参考にして、「財務経済会」の名称で匿名組合を開設することとし、前記産業会館内の計理士田島淳に依頼して、会の規約および匿名組合契約書の草案を作り、これらの書類、その他入会申込書、出資証券、営業案内書など、財経発足に必要な印刷物を名古屋市内の印刷業興英社に注文した。しかし同被告人ら両名は、当時無一文の状態でなんら開業資金の準傭もなかつたので相談の結果、各自の約束手形で、昭和二七年一二月上旬ごろ名古屋市内所在の中部モータース商会から、ボート、ロビン号オートバイ二台(価格一台十四万五千円)を買い受け、直ちにこれを同市内所在の金融業内外殖産株式会社に質入れして、合計十六万円を借り受け、これを資金として同市中区若松町八番地の一所在の歌舞伎ホテルの階下一室を事務所に借り受け、同月一三日ごろ浅野和子ほか一名の職員を採用し、同月十五日財経本店として発足したのであるが、被告人北原治三郎は、同月上旬ごろ北海道旭川市に商用で出張中、被告人橋本勇から書面による懇請により財経理事長就任を承諾し、昭和二八年一月二日ごろはじめて財経本店に出勤し、被告人橋本勇から改めて財経の計画や匿名組合方式の説明を受け、以来理事長として財経の営業者名義人となり、被告人小木曽比奈次も、昭和二七年一二月一三日ごろ被告人橋本勇の懇請により、職員選考試験に立会い財経の経営に参加することを承諾し、同月一七日ごろから出勤したのである。

第三、財経の犯罪的性格および被告人らの役割。

財経は、前記のように被告人橋本勇の思いつきから事業資金もなく開設されたものであり、また後記のように具体的な事業計画もなく、有望な投資事業を経営したこともないのにかかわらず、高率の配当金の支払および出資元金の返還を確実に履行し得るに足る事業を経営しているところの大衆に有利な利殖機関である旨虚偽誇大の事実を、全国的広範囲に亘つて宣伝して出資を勧誘し、因つてこれに接した大衆を欺罔し、出資金名義の下に金員等を詐取した。いわば、一種の詐欺団体であり、被告人らは右財経の実態を相互に認識し、いわゆる共同意思の下に一体となつて内部的事務を分担し、相協力して財経を運営したものであつて、被告人北原治三郎は、終始理事長として、対外的には財経の責任者となり、対内的には財経運営事務一般を総括主宰し、被告人橋本勇は、当初渉外係、次いで業務課長、さらに業務部長として、職制改正の前後を通じて、財経の出資の勧誘、宣伝広告、その他支店、出張所、取次店開設等の事務を担当し、被告人渡辺録郎は、当初は渉外係(被告人橋本勇とともに)、次いで、庶務課長、さらに総務部長として、職制改正の前後を通じて、財経の庶務、用度等の事務を担当し、被告人小木曽比奈次は、当初は庶務係、次いで経理課長、さらに経理部長として、職制改正の前後を通じて、財経の本店、支店等の経理関係の事務を担当し、昭和二八年三月ごろからは、被告人北原治三郎の提案により、被告人ら全員による財経運営委員会(理事会ともいう。)を組織し、毎月定期または臨時に会合をもち、財経運営の重要事務につき協議決定し、あるいは文書による禀議決裁の方法により、各自担当する事務の相互承認(あるいは事後承認)をしていたもので、被告人らはいずれも財経を利用する詐欺罪について、いわゆる共謀共同正犯の関係にあつたものである。

第四、被告人らの共謀にかかる犯罪実行行為。

被告人らは、前記のように、財経発足当時(被告人北原治三郎、同小木曽比奈次は参加当時)から、財経に対する匿名組合出資名義の下に他から金員等を詐取せんことを共謀の上、被告人橋本勇が主となつてその実行行為の計画および指導的役割を演じ情を知らない職員らを介して実行行為をしたのであるが、昭和二八年二月二三日ごろ名古屋市東区布池町三二番地大洋ビル五階一室を借り受け、同年三月五日前記歌舞伎ホテルの事務所を財経本店営業部として残し、同ビルの事務所を財経本店総務部(のち本店と称す。)とし、さらに順次部屋を借り増し同年八月一九日ごろまでに同ビル五階全部と四階一室を借り切り、また被告人ら各分担して、全国各地に総数約三百四十カ所に達する支店、出張所、取次店を開設し、もつて財経の外観を誇示するとともに、広大な組織網を完成し、他方、これらのことと併行して、財経の実態に関し虚偽誇大の宣伝広告をして出資を勧誘し、因つてこれに接した大衆を欺罔して、匿名組合出資名義の下に現金、株券、投資信託証券を交付せしめてこれを詐取したものである。すなわち、その欺罔手段である。出資募集に関する宣伝広告の立案企画は、主として業務関係の担当者たる被告人橋本勇自ら、またはその指導監督下に部下職員の手によつてなされたが、その宣伝方法は、新聞広告、民間ラジオの広告放送(「明日の案内」「財務アワー」など。)、飛行機によるチラシ散布、宣伝カーの巡回、劇場のスライド広告、プロマイド広告、営業案内等パンフレットの交付、新聞の折込ビラ、ポスター、カレンダーなどの配布、さらに市内立看板、アドバルンの利用など、あらゆる宣伝機関を利用し、また財経本店営業部および各支店等において、情を知らない財経職員によつて同旨の宣伝勧誘がなされた。そしてその宣伝、勧誘の内容は、開設以来いろいろと工夫が加えられ、多種多様に亘るが、その全部に共通する一連の事実は、虚偽にしてかつ誇大に満ちたものであつた。すなわち、財経は開設以来終始、約定の高率配当金の支払および解約時または満期における出資元金の返還を確実に履行し得るだけの利益ある実質的な投資事業をなに一つ経営せず、配当金および出資元金はもちろん、宣伝広告費、本店、各支店等の諸経費を含むばく大な必要量を、順次あとから入つてくる出資金でまかなうという、いわゆるタコ配当、および自転車操業の方法(自転車は走行中は倒れないが、停止すれば直ちに倒れる。それと同じように、企業が赤字状態で操業を停止すれば直ちに倒産するので、操業を続けられるだけ続ける方法)をとり、財経の経理面は赤字増加の一途をたどりつつあつて、もしこの実態を明らかにせんかその対外信用はゼロともいうべき内情であつたのにかかわらず、ことさらにこれを隠し、あたかも財経は、匿名組合方式による堅実安全な大衆の利殖機関であつて、秋田の鉱山、元千種造兵廠跡の払下問題(損失のみあつて利益はなかつた。)など、いかにも有望な投資事業を経営し、かつ多額の資金を保有するもののごとく装い、(一)財経の組織は、現在アメリカで非常な発達をとげ、すこぶる好評を博している投資銀行(インベスメント、バンク)の事業形態および内容を取り入れ、日本経済に適合し、大衆の利益を図ることを目的とするにあるとし、その経営方法としては、出資金を常に大資本に結集し、最も合理的に、資本主義経済の理論と実践を文化的かつ科学的に応用し、綿密な調査の上、これを不動産部門、生産部門、株式部門にそれぞれ投資運営し、絶対責任をもつて資産の利殖を行つているので、まちがいなく約定の配当金を支払い、解約時または満期において出資元金を返還することができる旨、虚偽誇大の宣伝勧誘をし、(二)また昭和二八年六月三〇日現在における財経の出資総額は約七千萬円、株券出資総額は約二千七、八百万円、手持現金は約千二、三百万円で、赤字は約三千万円であつたのにもかかわらず、右同日現在における財経の出資総額は約六億円、不動産および動産の見積価格は約八億円、買掛金は約二億円、解約準備金は約五千万円、資本金は約一億円、余剰利益金は約一億六千万円、繰越益金は約八十万円である旨の、虚偽の貸借対照表を作成し、財経の昭和二八年度上半期決算報告書の内容とし、同年七月一二日付中部日本新聞紙に全三段広告としてこれを掲載し、同月三〇日までの間に、北国新聞、信濃毎日新聞、日本海新聞、滋賀新聞、中国新聞、伊勢新聞、読売新聞(大阪)、静岡新聞などの地方紙にもこれを掲載し、もつて虚偽誇大の宣伝勧誘をし、(三)出資方法として、普通出資は(イ)現金出資の場合、一口千円以上、配当金は毎月払五分以上、解約自由、(ロ)株式出資の場合、一口百株以上、配当金は毎月払四分以上、契約期間は三カ月(評価は株式市場の前日終値)、(ハ)投資信託証券出資の場合、一口以上、配当金は毎月払一分五厘以上、契約期間は三カ月(評価は最近の時価手取額)であるとし、その他特別出資として、(1) 伊勢神宮参拝招待付特別出資、(2) 招待付特別出資、(3) 抽選付特別出資、(4) 物品先渡特別出資の四種とし、現金出資の金額と契約据置期間に応じ、前記普通出資の現金出資の場合における配当金を支払うほか、出資者を伊勢神宮、出雲大社、善光寺等に招待し、あるいは出資者に抽選の賞金を交付し、または出資金と同額のミシンを先渡しする旨、大衆の利殖欲をあおるに足る宣伝勧誘をした。それがため、これらの宣伝、勧誘に接した大衆をして、財経の事業内容がその宣伝のごとく、約定の配当金の支払および出資元金の返還を確保するに足りる堅実安全なものと誤信せしめ、因つて原判決添付の第一ないし第一一犯罪事実一覧表記載のとおり、昭和二八年七月一日ごろから昭和二九年一月一九日ごろまでの間、三七五一回に亘り、同表記載の財経本店営業部および各支店等において、情を知らない同表記載の財経職員を介して、同表記載の安藤功男ら一三四八名から、同表記載のとおり出資金名義の下に現金約合計一億八千三百四十三万七千二百三十円(ただし、内四万五千円は定期預金証書二枚、九万円は小切手一枚)、株券五千六百五十四枚見積価格約合計三千百七万八千二百円、および投資信託証券三百一枚見積価格約合計八百三十八万二千四百六十円を交付させてこれを詐取したものである。

なお、原判決添付の右各犯罪事実一覧表をここに引用する。

(証拠の標目)

当裁判所が前記事実を認定した証拠の標目は、原判決挙示の証拠標目と同一であるからここにこれを引用する。

(確定裁判)

被告人橋本勇、同渡辺録郎の確定裁判は、原判決摘示と同一であるからここにこれを引用する。

(法令の適用)

法律に照すと、被告人らの判示各所為(同一被害者に対する各所為はこれを包括一罪とみる。)は、それぞれ刑法二四六条一項、六〇条に該当するところ、被告人橋本勇、同渡辺録郎については、右各罪は原判示各確定裁判の罪とそれぞれ同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりいまだ裁判を経ない右各罪につきさらに処断すべく、同法四七条本文、一〇条を適用し、被告人北原治三郎、同小木曽比奈次については、右各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条を適用し、それぞれ最も犯情の重い原判決添付の別表第一犯罪事実一覧表8、被害者高御堂栄一に対する罪の刑に法定の加重をし、その各刑期範囲内で被告人北原治三郎を懲役七年に、同橋本勇を懲役一〇年に、同小木曽比奈次を懲役五年に、同渡辺録郎を懲役五年に各処し、原審および当審における別表記載の訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により同表記載のとおり、被告人らに対し単独または連帯でこれを負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 坂本収二 裁判官 水島亀松)

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